キクタンさんから


お金がないことで「餓鬼」になってしまうのです。

これを『無財餓鬼』と言います。


だからやはりある程度のお金がないといけないんだ、

お金があったほうが、心の豊かな人になれるんだ、


お金があれば、餓鬼になんてならなくていいんだ、と

金儲けに走るのです。


ところが財を築けば築いたで

今度は『有財餓鬼』となる


財を持つ者が「もっと欲しい」と人を傷つけている。


小学生より中学生、高校生より大学生、


投資家のFX取引で金は増やしていってもまず、これ自体きりがない。

なまじっかその知識ゆえに行動しないとお金が逃げてしまう、

これはもったいないとわかるので常に焦燥感に追われている


多忙を充実と履き違え、金の番人に終始して

ある日突然、全て残して、この世を去る。。


【この世に何のために生まれてきたのか】


金を効率的に増やす知識を知って小躍りしている場合じゃないでしょう。


金はやがて離散するもの。

ならば、『金は何に使うか』


その使い道にこそ

その人の【真価】が現れると思いますし、

その答えを探求することこそがずっとずっと難しいのですから。


『人が酒を飲み、

 酒が酒を飲み、

 酒が人を飲む』


酒は百薬の長、酒は人生の花

と味わっていたはずなのに、

いつの間にか酒が手放せないようになり、

自分の意思で酒を飲んでいるのかどうかわからなくなる

【酒が酒を飲む】状態といえましょう。



もうやめなきゃと思っても飲まずに入られない

やがて酔いに任せて、暴言を吐いたりあらぬ失態を演じたり、

【酒に人が飲まれてしまう】


「酒」は、そのまま「金」に置き換えてもいい。

金を使うはずの人が、

金に使われ、金の番人となり、

金のために身を滅ぼす。


そんな財欲の恐ろしさにまつわる

あるエッセイから紹介しましょう。


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「そこに、毒蛇がいるぞ。噛みつかれぬように」

「ハイ、心得ております」


その会話を聞いた農夫が、

怖いものみたさに覗いてみた。


なんとそこには、まばゆい金銀財宝が

地中から顔を出しているではないか。






「生きる理由を教えて」ズバリ示された     親鸞聖人の明答

「昔、誰かが埋め隠したのが、大雨で洗いだされたに違いない。

こんな宝を毒蛇と間違うとは間抜け野郎だ」

 農夫は喜んで持ち帰った。


一変に生活は華美になり国中の評判になった。

王様の耳にも入り怪しまれ、厳しい詮議を受けて白状した。


かかる大枚の財宝を横領するとは許せぬ大罪。

死刑に処するが三日間の猶予を与えると、一応帰宅させた。


次第をきいて家族は嘆き悲しんだ。

「ああ、お釈迦さまは偉い。間違いなく毒蛇だった。

オレが噛み殺されるだけでなく、妻子にまで毒がまわり大変なことになった。


家族揃って平和に暮らせるのが何よりだ。

財宝がかえって身を責める道具になった」


農夫は心から懺悔した。


翌日、呼び出しがかかった。

死刑が早まったのかと青ざめて法廷に出ると、

「お前の罪は赦す」

との大恩赦。


理由は、

「お前が帰る前に床下に家来を忍ばせて、すべてを聞いた。

釈尊のお言葉から、お前の懺悔。

考えてみると、お前ばかりが毒蛇に噛まれるのではなかった。

とりあげるオレも酒色に溺れ国を破滅させるところだった。

財宝は釈尊に使ってもらおう」

とのことだった。


一部始終を聞かれた釈尊は、微笑しながら、

「この世の宝は身を苦しめる道具になることが多い。

早速みんなが絶対の幸福になる仏法を伝える為に使おう」

と、お預りになった。


大臣や総理までつとめたものが獄舎につながれ、毒にあてられ悩んではいないか。

毒蛇の被害者は周囲に充ちている。


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陥り易いところです。


【金は使う人となれ

 金に使われる人となるな】


と生涯言い聞かせていきます。

平社員より課長の方が入ってくる金額は多いのですが、

出ていく支出も多いので、ちっともお金の憂鬱から開放されない。


金額の桁が違うだけで、金銭の悩みはまったく変わりません。


年間売り上げ何十億と聞くと、

一般庶民は「いいなぁ」と思うかもしれませんが、

そんな人は、その分人件費や設備投資とか税金とか、

やはり支出も何十億ですから、まだまだとても安心できません。



■ゾウが一日食べる量は


青草60キロ、干し草7キロ、わら6キロ、

バナナ3キロ、パン1キロ、固形飼料5キロ

パンダの食べ残した竹10キロ!!


これをロバが見たら

「なんてゾウは豊かなんだ、恵まれているんだ」

とうらやむでしょうが、

ゾウは毎日これだけの量の餌が供給されなければ

たちまち餓死してしまうので、

自分のことを豊かで恵まれているとは思えないのと同じです。


財のある者がもっと欲しいと苦しむ『有財餓鬼』がいる。