黒木さんから
⇒ 西山進さんは、一昨日の「ガイアの夜明け」なども含めて、TVにたびたび取り上げられる大活躍ぶりです。
神戸で講演した時に聴きに来ていただきました。
⇒ 百万人のCandle-Night の提唱者でもあり、産直宅配のさきがけでもある、大地を守る会会長
藤田和芳さん。本人から直接聞いた話だが、昔はかなりの学生運動家にのめりこんでいたとか。
有機野菜・無農薬野菜の新流通を構築して、日本の農業を守る!と意気込み、年商160億円。
黒木自宅のPoolsideシンポジューム時に、奥さんの加藤登紀子さんと参加した、今は亡き
元・全学連委員長の藤本敏夫さんとの接点も多いようですが、活動家はどうも農業に帰るみたいですな。
藤本さんは刑務所出所後は鴨川市で農業「自然王国」を経営して、「DRY納豆」の製造開始。
私も国際線機内でSample配布PR活動を大いに手伝い、後にJAL機内名物にまでなりました。
⇒ 衣食住の中でも、食べることは命にかかわること。「食」の漢字は「人に良いもの」と書きます。
前例踏襲・お伺い・横並び、この可も無く不可もない、こと無かれ主義のムラ社会的発想は、
良くも悪くも我が国の風土である。
“ムラ”は、群れるから来た“ムレ”が語源。
欧米では他人と違っていると言われることは誉め言葉だが、この地では他人と違っていると異端児扱いされ、
極端な場合には、火事と葬式の二つ以外は付き合いを絶つ“村八分”に処させることにもなりかねない。
だが、世の中の流れは止むことを知らない。
ロシア革命でレーニンは、農民や漁民相手には革命の意義など説かず革命後の幸福な暮らしを具体的に
描いて見せて納得させた。
説得では人は動かない、納得して初めて心を動かす。解説ではなく、人は解決を求めているからである。
兵庫県丹波篠山の片田舎から農業改革をやろうじゃないか、どこよりも美味しくて安全で安価な農産物を
地産地消で供給しよう! と、その納得力を持って立ち上がっているスーパー経営者の西山進さんと会った。
菓子問屋の実家から独立して一代で5店舗、年商81億円にまでにしている革新派である。
美味しさと品質で大評判となり、売り上げも日々伸びている。
担い手不足、耕作放棄で危機的状況にある日本の農業。農協などが仕切り、農水省が浄財の税金からの
補助金でやりくりする施策は限界に達している。色形やサイズを重視する農協が采配している規格外農産物は
安価なので運送費にもならないばかりか、見栄えの良い商品流通の邪魔になり農家の利益が少なくなるので
三分の一が大量に廃棄されている現実。畑で捨てられる2Sサイズの小玉ミカンの方が美味しいのに、
どこかおかしい、西山さんは外見を問題にしないで味と安全だけを中心にした流通を考えた。
農業をやるための土地ではなく、いずれ道路が来る、店舗が出来れば土地代が跳ね上がる、
売らない、貸さない、税の優遇はして欲しい、ちょっとだけ農作して資産的価値として保有するエゴが日本中に
はびこっている農地制度。生産者の論理(プロダクト・アウト)から、消費者の目線(マーケット・イン)に移して、
合理化と生産性に重きを置く大手とは逆のことを発想してみた。脱補助金・脱既成農業での地方再生。
日本は自然に無理やり言うことを聞かせる農法だが、自然を守り、自然に守られる農法はないものか。
除草剤・農薬・化学肥料を一切使用せず、土の力だけでの方法。農業は土を作ること、自然との共生のはず。
スーパーから大量に出る賞味期限切れの魚や野菜の食物残渣などカルシューム主体を3ヶ月発酵させて堆肥を作り、耕作放棄地を活用して土を丁寧にすきこんで微生物が繁殖しやすいように粒状の肥えた土壌にする循環型農業経営で、収穫量は1.5倍、農協流通を通さない直接の地産地消ビジネスで価格は5割安にまでなった。
桜のチップ・卵・蟹殻・鶏糞に魚のアラ等が多く入っているので堆肥としての力は申し分なく野菜が驚くほど甘い。完全有機の米は田んぼに一度も入る必要が無く、金と手間がかからない。
販売力に長けていないから農協に頼らざるを得ない生産者に代わって、販売側のプロに徹する。
西山さんが販売計画を立て、作付け時点で代金を支払う。
農家は不作になっても安定した所得が確保されるので
生産に専念できる仕組みだ。販作分離で、関連団体の居場所作りや政治家の票集めに利用されていただけの
眠れる農家と大地に新しい息吹を吹き込んでいる。
長い因習意識に埋没した発想のままでなぜ出来ないかの“解説”に居座るのではなく、
どうすれば出来るかの“解決”への挑戦。
西山さんはヒマラヤにも挑む登山家であり、超古代史にかけては専門家も舌を巻くほどの博識である。
合理的、計算づくではない人生の複眼的な仕入れをどれくらいやっているかによって、
将来の付加価値には大きな差が出てくる。
二宮尊徳は「天道自然、人道作為」を説く。
田畑を自然に任せて手入れを怠れば、草ぼうぼうになるように、人間にもそれなりのすぐれた教育が必須であると。
自然には善悪がないが、人道には節制を加えて初めて人となる。無為自然とほったらかしは、似て非なるもの。
しつけは漢字で「躾」、身体の動きが美しいと書くが、これは中国語には無い、和製漢字である。
教養は歴史に裏打ちされた基本に則って最低限の素養を身に着けた末に初めて滲み出てくるものなのである。
子供なのだから、したい放題にやらせておけば伸び伸びと育つと世の習いを何一つ教えないで育てれば、
帰するところ、ただの糸の切れた取り返しのつかない凧にしかならない。
一しか知らないくせに十を知ったかぶりでも何とか通用する主体性のないお笑い受けを狙うだけの
追従(ついしょう)型が多い昨今において、百を修練体得した上で、一をも知らぬ振りの出来る奥の深い聡明さは、いぶし銀の如く崇高な光りを放つ。
金メッキは直ぐに剥げる。
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期待に応える
最も輝いている人は、最も他人を輝かせている
