続きです。


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その2はこちら です。



10月15日に、また父がやってきました。

その日は、私が病院のスタッフさんとケースワーカーさんとの話し合いの日でした。

面倒ごとが嫌いな父は、話し合いが始まると看護師さんが呼びにきてくださると

すーっといなくなりました。


カンファレンス室で、総勢8人で話し合いです。

内容は、現在の状況・今までの経過・今後の予定・など。


来てくださったのは


主治医の女性の先生

看護師長の女性

担当看護師の女性


口腔指導の先生(沖縄の)

意識指導の先生

リハビリの先生

ケースワーカーさん


そして私。


主治医の先生からは、どうしてこうなったかや転院してからの経過

担当看護師さんからは、現在の状況

看護師長さんからは、できること出来ないこと、やってはけないこと

口腔指導の先生からは、喋ること食べること、入れ歯の指導

意識指導の先生からは、左側に意識を向けるように取り組んでいること

リハビリの先生からは、どんなリハビリをしているか、本人の取り組み方、今後装具を作ることへの了承

ケースワーカーさんからは、退院してからの身の振り方


こういう内容を色々と教えて頂きました。

何か質問はありますか?と仰ったので、高次機能障害はそのうちに治るのか

どれぐらいまで回復できたら退院が見込めるのか、などを質問させて頂きました。



主治医の先生に、高次機能障害や脳内のこと、たくさん教えて下さってありがとう。

看護師さん、看護師長さんに、いつもおむつ交換や食事介助ありがとうございます。

口腔指導の先生に、ご飯の硬さについてやおかずについて進言して下さってありがとう。

リハビリの先生に、本人が頑張れるようにリハビリの言葉掛けや励ましありがとうございます。

ケースワーカーさんに、不安で仕方なかったけど相談にのって下さってありがとう。


そう伝えて、退院はうまくいけば年末、年始ぐらいになるかもと教えて頂きました。

その後にケースワーカーさんが、退院された後のご相談は僕が受けます。

今現在は、どうしようとお考えですか?

と質問されました。


この質問については私も考えていたことでしたので、今日父が来ると聞いたので

父と母と3人で、会議の前に話し合いました。


実は、数日前から母の記憶が抜け落ちていたことに気がついたのです。

それは、菊池に住んでいたことがごっそりとなくなっていました。

菊池で仕事をしていたことは覚えている。

一緒に働いていた人も覚えている。

でも、自分がどんな所に住んでいて、玄関はどんなで、間取りはどんなで、どんな風に台所を使っていたか覚えていない

唯一覚えていたのは、トイレだけは入念に掃除していたので、トイレだけは覚えている。

ということでした。

脳って怖いですね・・・・。

30年近くも住んでいたのに、もう思い出せないなんて・・・。

でも、それが私やりゅうや父のことでなくて良かったと思います。


こんな状態なので、菊池に住むと言い張っていた母を引越しさせることはできそうです。



母にゆっくりと、退院したらどうしたい?と聞くと


「うーん・・・ここに転院して来た時に入ってた部屋に戻りたい。あそこで住めたらいいと思う」


「それは無理だよ・・・(^▽^;)」


その前日にあの一人部屋から4人部屋に移ったばかりでしたので、この答えだったと思います。


「そうねぇ・・・」


「お母さん、今ねお父さんと話して5つの道があるねって話してたのね。

一つは、私と一緒に住むこと

二つは、私の近くの1階のアパートとかを借りること

三つは、養護ホームとかに移ること

四つは、お父さんの近くにアパートを借りること

五つは、お父さんの日奈久にある養護ホームあるでしょ?ばーちゃんがいるとこ。

あそこが入れそうならばーちゃんと一緒っていうのもありかなと思ってるんだけど。」


このばーちゃんというのは、母が若い頃に芸者をしていた時の置屋で母親代わりだった経営者の人です。

このおばあちゃんは、自分の娘同然に母を可愛がってくれて

自分の息子と母を結婚させたがっていたそうですが、母が断ってしまって父と結婚したのだとか。

それで、日奈久に行くとばーちゃんに会うのですが

未だに「私はAさんとの結婚に反対だわ」と笑って話すそうです。

このおばあちゃんが、養護ホームに入居されていて母もばーちゃんと一緒ならどうだろう?

と思ったからです。

付け加えて言いました。


「あのね、私に悪いとか世話になりたくないとか色々あると思うけど、それ全部取っ払って

自分の残りの余生をここで暮らしたい。っていうところを選んでね。

何よりもお母さんの意思を尊重したいから、お母さんが選んだらそうなるように

私達も努力するから」


そう言うと、母は答えました。


「お父さんとこがいい!ニコニコ


凄い笑顔でした。

とっても嬉しそうな、とっても幸せそうな顔・・・・。


「ほんとにそれがいいの?私に遠慮してない?」


「あんたにも悪いなとも思うけど、お父さんと一緒がいいニコニコ


私は父を見つめました。


「せやな、ほんならそうなるように準備するか」


「お父さん、本当に大丈夫なん?お母さん、ある程度は自分でできるようにはなるだろうけど

ほったらかしとかそんなんいかんし、いつもの毎晩の飲み歩きとかもうできんよ?そこまで覚悟するん?」


そう言うと、父は言いました。


「せやかて、お母はんこんなにワシとおりたいいうねんもん。そんならそうせなあかんやろ。

それに、ワシらも残り少ないねん。ほんなら残りは一緒におったってええがな」


「お母さん、ほんとにそれがいいの?」


「うん、私おとうさんとこいく」


「そっか・・・・じゃ・・・先生にそういう方向で、って話してくるよ・・・」


こういう会話をしていたので、会議の最後にケースワーカーさんが

今後はどうされたいと思ってらっしゃいますか?と聞いたときに


「実は、私は先ほど母に聞きました。5つの選択肢があるよ、と。

それは父と一緒にいたいというものでした・・・。

はっきりいって、正直自分といた方が私は安心しますけど、母の望むようにしてあげたいので・・・」


「では、お父さんも大丈夫なんですか?結構お年ではないんでしょうか?」


「父は、妹さんと暮らしていますが食事の支度や洗濯なども父がしておりますのでその点は大丈夫かと」


「わかりました。では、そういうことで話を進めていきましょうね。」


「ありがとうございました」


そうして会議は終りました。

それから病室に戻ると、病室が大賑わい。

何かと思ったら、女性に優しい父が同室のおばーちゃんを車椅子から降ろしてあげている所でした。


「すみませんねぇ」


「ええですよニコニコ


ほんと、女性には優しいんですよね・・・・。


「ほんとに優しくて面白いお父さんねぇ!なんて羨ましい!Aさんは幸せ者ね!」


そう正面のおばちゃんが言いました。


「(他人から見たらね・・・)ありがとうございます・・・(^_^;)」


会議が終ったからお父さんを近くの駅まで送っていくことになりました。


「ほな、今日は帰るからな。またお母さんの誕生日前に来るからな」


「うん、気をつけて帰ってね」


そう、今月5日が父の誕生日で、26日が母の誕生日なのです・・・。

りゅうがから揚げやさんに寄ろう、じいちゃんにあのから揚げ食べさせてあげたいというので

りゅうのお気に入りのから揚げやさんに寄ってから駅に向かいました。

車の中でりゅうと父が、から揚げ美味しいね!って会話をしてたっけ・・・。

そして、駅に着きました。


「お父さん、日奈久まで車で送っていくのに」


「ええねん。片道高速で1時間やろ。帰るまでにりゅうくんも疲れてまうわ。ここでええねん。

ほなら、25日に来るさかい、お母はんのことよろしゅう頼むわ」


「はい。お父さんも身体に気をつけてよ?深酒せんように」


「はいはい。わかっとるがな。ほなな!気をつけて帰りい」


「はい、ありがとう」


「じーちゃん、またね!」


「ほいよ!」


そう言って別れました。

あの父の背中をまだ覚えています。



少し休んで、また後ほど続きを書きます。