その1からの続きです。

まだ読まれていない方はこちら から。



それからしばらくして、また父がやってきました。

父やりゅうが来ると、本当に母は嬉しそう・・・。

とても笑顔になります。


そんな時、ちょっと落ち込むことがありました。

私の考えすぎかもしれないけど。

私は毎日病院へ通っていますが、りゅうも一緒に来てくれます。

嫌な顔一つせず。

ほんとに優しい子です。

その日も、汚れ物を持って帰る準備をして新しくおむつやパッドを入れ替えていた時に

口腔の先生が来られました。

この先生は母のお気に入りの女の子で、とても可愛らしくてしかも沖縄出身です。

それで母と盛り上がっていました。

二人にしかわからない沖縄の方言で盛り上がったりしていて。

母にとってはとても嬉しかったことでしょう。

懐かしそうに先生と話をしていました。

私は洗面台でタオルを変えたりしていました。

その時に、二人の会話が聞こえました。


「でもねー、Aさん。リハビリ頑張ってるね。それに、お孫さんが来てくれるの嬉しいね!

看護師さん達も、あんな可愛いお孫さんが毎日来てくれるなんてほんとAさんは幸せねー!

って言ってたよ。それに、娘さんも来て下さるからよかったね!」


私はそれを聞きながら、ちょっとほっこりして顔がほころびました。

”この先生優しいな、若いのに立派な子だなー”そう思っていた時


「あなた、結婚してるの?」母が先生に聞いていました。


「私はまだですよー。いい人がいるといいんですけど(^∇^)v」


って先生が笑った時、母が言いました。


「あのね、子供がまだなら女の子は絶対に一人は産んでおきなさいよ。

自分が病気した時、役に立つから。娘は便利よ?」


先生は笑っていましたが、、、、私の心は曇りました。

昔、母に言われたことを思い出したからです。


母が、あんたなんか産みたくなかった!と言ったときに、じゃなんで産んだのよ!って泣いた時


「だって、ねーちゃんが将来面倒見てもらえるから子供一人は産んどけって言ったからじゃん!」


あの時の言葉がよみがえりました。

父とりゅうの時とは違う。

それはわかっていたけど・・・。



もういい。


よそう。


もう、やめよう。


考えても仕方がないことだ。

そう思われてるならそれでいい。

私は私の役目を全うしよう。

それでいいんだ。


母を笑わせるのは父の役目。

母を元気付けるのはりゅうの役目。

母の身の回りのことをするのは私の役目。

もうそれでいいじゃん。

そう考えたらちょっとだけ気が楽になりました。


父が帰ってから数日後、また父から電話がありました。

それは、ずっとお名前だけは伺っていた、りょうちゃんと呼ばれる父の昔からのお友達が

今度奥様と一緒に母のお見舞いに来て下さるから、俺も一緒に来るから。

ということでした。

初顔合わせか~~~緊張するなぁ。

そのおじさんは、私が岡山にいた時に一度うちに遊びに来てくださって

私に白い犬のぬいぐるみを下さった方だ。

私は、そのぬいぐるみがとても嬉しくて、毎日毎日抱いて眠り、話しかけて遊んだものだった。

そして、そのぬいぐるみは今でも私の手元にある。

あれから私はもう10回近く引越しをしていて、アルバムや色んなものを捨ててきた。


「お父さんがいた時の思い出なんかいらん・・・・」


そう思って、岡山の荷物は全て捨てたし、焼却した。

でも、捨てられなかったものがあった。

それが、(もう真黄色だけど)あの白い犬のぬいぐるみだった。

なんど引越しする時に、もう捨てよう・・・と思ったことか。

それでもそれだけは捨てられなかった。

りょうちゃんはタンカー船に乗っていて、いつも外国の海を走っている。

年に数度だけ陸に上がることが出来て、その貴重なお休みの時に父に会いに来てくれた。

私が始めて会った時は、りょうちゃんは船から降りたばかりで

真っ白の軍服のような制服に身を包み、階級章がついた水兵?の制服がとても似合っていたのを覚えている。

当時私はまだ小学低学年で、思ったようにお礼を言えたかどうか覚えていない。

だから、今度りょうちゃんに会えたらきちんとお礼を言いたい、そう思っていた。

そして、父から聞いていた話だとりょうちゃんには3人のお子さんがいて

長男さんはもう35歳で、どうやら中級ぐらいの自閉症のようだった。


「もう35歳なのにな、雨が降ると喜ぶんやて!奥さんがな、雨が降ると職場に迎えに来はるから

それが嬉しいらしくて、朝から”今日は雨だ、お母さんが来る”ってニコニコするらしいわ」


それを聞いたとき、あぁ、きっと自閉症なんだなと思った。

電車が好き、自転車が好き、雨の日が好き、仕事は真面目、そう聞いていたから


聞いた限りではとても素直な息子さんみたい。きっと奥さんやりょうちゃんがとても努力されたんだろうな。

そう思った。


「でもな、ワシになかなか会わせてくれんねん。隠してばっかりや。」


そう言った父に私は言った。


「あのね、お父さん。じゃぁお父さんはりょうちゃんと奥さんに、自分の孫も発達障害ですって言った?」


「いや・・・それはいうてへんけど・・・・」


「ね。親友にでも言わないでしょ?それはなぜ?心のどこかで、りゅうを恥じてる部分がない?」


「そんなことあらへん・・・・」


「わかるよ。その気持ちも。りょうちゃんも同じなんじゃないかな?でも、正しく知ってくれる相手がいることは、私にもりょうちゃんにも、奥さんにもとても勇気と希望を与えてくれるの。

私も友達に会わせたくないって思ってた時があった。

だけど、勇気を出して私の子供はこうなんです、こういう時はこうしてやって下さい。

こういう部分があります、よかったら理解してやって下さい。って

そう言ったら、理解してくれるように友達も努力してくれた。

私はその友達を大事にしようと思う。

でも、理解をしようともしてくれない人もいるし、それはそれで仕方ないとも思うけど

そういう人にりゅうを紹介しようとは思わないよ。

きっと、りょうちゃんも同じ気持ちなんじゃないかな。

だから、お父さんが自閉症について知って、その話題もりょうちゃんと話せるときが来たら

もしかしたら、会わせてくれるかもしれないね」


私がそう言うと、父はしばらく考え込んでいました。


「せやな・・・ワシも言うことができんかったのは、恥じてた部分があったんかもしれん。

りょうちゃんの奥さんはな、自閉症の会みたいなのとか色んな講習会とかに出てて

物凄く勉強してはるみたいや」


「そうなんだ。立派なお母さんだね。でも、きっとそれだけ苦労されて来たのかもしれないね」


「せやな・・・」


いつも反論ばかりしてくる父が、とても素直に話を聞いてくれた日でした。


それから数日後、りょうちゃんと奥さんが母のお見舞いに来てくださいました。

りょうちゃんの面影はそのままで、奥さんはとってもお綺麗な、なんていうか。。。

とても上品な人!でした。

母の病室でお会いできた時は、ちょっと感極まったり。

そこで、私は紙袋からあるものを取り出しました。


「Sさん、これ覚えてらっしゃいますか?」


私が出したものを、りょうちゃんは不思議そうに眺めていましたが


「あぁ!!」と驚かれました。


「何度も引越ししてもどうしても手放すことが出来なくて、岡山の思い出はもうほとんど残ってないけど、これだけはずっと持ってたんです」


そう言うと、りょうちゃんは真黄色のぬいぐるみを触って


「そうなんだ・・・・ありがとう」と涙ぐみました。


それからしばらくして、母のおむつ交換が始まったので待合室に移動してお茶を飲みながら話しました。

私は奥様と隣に座って、りゅうのことを言うかどうか迷っていました。

この人は、同じような気持ちで頑張って来られた人だ。

きっとたくさん学ぶことがある!

そう決意した時に、奥様が


「でも、りゅうくんってえらいね。最初に会った時もちゃんと挨拶できて。

はじめまして!って笑顔で。可愛かったわニコニコ


そう仰って下さったので、緊張が解けました。


「ありがとうございます。あの、失礼ですが私、奥様とずっとお話したいと思っていたんです」


「え?どうして?」


「あの、りゅうは発達障害を抱えてます。グレーゾーンです。それから、少し自閉傾向もありです」


そう言うと、奥様は黙って私をみつめていた。

ゆっくりと口を開くと


「そうなんだ・・・!頑張ってきたね!!」


そういわれて、一気に涙腺が緩みました。

そんな私の背中をなでながら、話をする奥様に気がついたのか、りょうちゃんもやってきました。

そして、3人で話をしました。


小さい頃はどんなだったか、最初に気がついたときは難聴だと思ったということ

まさか私の子が・・?って悩んだことも

一緒に死のうと思ったこともあることも

周りに理解されなくて泣いたことも何度となくあったと

学校で理解してくれる先生に出会えればいいけど、そうでない場合はとても辛かったこと

年老いた両親には言っても中々わかってもらえないこと

なんでこんなこともできないの?

それぐらいわからないの?そう言われて本人がとても辛い気持ちでいること

友達に利用されやすいこと

そしていじめられたり、馬鹿にされたりすること

本人が理解しやすい手順

どんな風にしたら頭に入りやすいか


もう、話せば話すほどわかります!わかります!って言いたくなることばかり。


最後に奥様が


「うちの子はね、もう35歳だし中程度の自閉だからりゅうくんとはまたパターンも違うけど

私は私なりにあの子を理解しようと、色んな本を読み、いろんな人と会い、色んなことを学びました。

だからきっと、あなたの力にもなれると思うの。

ほんとによく一人で頑張ってきたね。いつでも言ってね、いつでも相談に乗るわ。頑張ろうね」


凄く、凄く嬉しかった一日でした。

やっぱり話して良かった。


そういえば少し前に、りゅうのこんなことがありました。

晩御飯を食べながら、ぽつりとりゅうが


「お母さん、俺ね、今日Kとケンカした」


「へ?」


ケンカって・・・。え、なんで?相手にケガさせたの?!

心臓がバクバクしました。


「え、どこか殴ったり蹴ったり?え?」


「ううん、俺ねなんていうかね・・・・うーん・・・うまくいえないけど、俺のことはいいんだ。

どんなに言われても馬鹿にされても別にいいやって思う。

でも、友達が馬鹿にされるのは嫌だよ。お母さんやばーちゃんたちが言われるのも許せない。

俺が、今日学校でKに、お前、俺の友達に悪いこと言うのやめろよ。

って言ったら、KとYが口真似して「やめろぉよぉ~合格」ってからかって来たから

そうやって人を馬鹿にすんな!俺達がおかしいんじゃない、お前のほうがおかしいんだよ!!

って怒鳴ったら、女の子が来て

「りゅうくん、やめな。こいつらに言っても無駄だよ。サイテー」って言って

俺を引っ張って行ったんだ。

その後、放課後にKに会ったから「お前、謝っとけよ!!」って言ったら

「わかったよ」とだけ言って通り過ぎた。

あいつら、二人じゃないとなんもできないね。でも、悪い言葉使ったからごめんなさいしょぼん


そう言って、お箸を置いて頭を下げました。


「そっか・・・怖かったでしょ?」


「うん・・・ちょっとだけね。でもケンカしてごめんなさい」


「でも、言えたんだ。それはケンカじゃないよ。大丈夫。

怖かったね、頑張ったね。お母さん、りゅうを誇りに思う」


そう言うと、りゅうは照れたように笑って


「俺、Y君やしょうくんに勇気貰ったから、今度は俺が返す番(≡^∇^≡)v」


そう言って部屋に戻りました。


今までこんなことなかったのにな。

きっと、RUIさんの息子さんやしょうくんにたくさん助けられて少しずつ変われたんだと思います。


それ以来、K君もY君も特にからかってくることもなく、最近あったキャンプも同じ班だったそうですが

何事もなく過ごせたようです。

りゅうのちょっとした成長を感じられた日でした。




まだ続きますが、夜に時間あったら書きます。