いろんなものを観て感じて
感じる心が強くなっていく
感受性というもの
特に物を生み出すひとは
その傾向が強い
周りの友達や仲間は
そういう人ばかりだ
そうしてたくさん抱えてしまうからなのか
一人旅に出かける人が多い
私もよくでかける
特に高校生のころからその傾向は強くなっていった
先月は友達が長野県に宿泊したらしい
私に声をかけてくれた子だ
自分からは相談もしないと思っていたのに
自ら手を差し出してくれたほんとに優しい人だ
私もよく
何処か遠くへ
行ってしまいたい
と強く思ってしまう
今この瞬間も
誰もいない所へ
ひろいところが好きだから
北海道のモエレ沼公園が
理想に近いかも
人居るけど 笑
テトラマウンドという丘から
下を見下ろしたとき
さながら絵画のようだった。
何もない白い一本道に
数本並んだ木の下で母が黄色と白の服を着ていた
そんなことを覚えているほどに
綺麗な構図だった
そういう一人になれる場所や
時間がないと
自分でいれなくなれる
別に理解されなくてもいい
人が嫌いとかそういう問題じゃない
寧ろ人が大好きだからこそ
私はひとりになりたくなる
そうして時間を過ごすと気持ちよくなれる
こないだいった公園はアクセスが悪いので残念だ
たまにこうしたギャップに気づく
エネルギッシュな部分と
静かな部分が
同居してる事に
不思議とその二つは喧嘩はしないけれど
今のこのときは
静かにしたいとき
あ
いまきづいた
私はよくこの単語を使う
「爆破」
「溶ける」
まるで正反対じゃないか…
気づかないもんだなぁ
やっぱり2つの気質が同居してるんだな
絵が描きたい
かなり描きたい
しばらく 色を使った絵
そんな絵は描いてなかったから
もういろんな感じる事がたくさんありすぎて
溢れそう
なんというか怒濤の日々で
言葉だけでは表せない
先日油絵具持ってくれば良かった
アクリルでもいいけど
荷物一緒にいれてくれと頼もう
絵を描いている人に
「文字だけじゃ表現できなくないですか」
とお話したら
「そりゃそうだよ」
「だから絵に描いてるんだよね」
その通りだと思った
楽しい絵、不思議な絵、怖い絵と種類は無数にある
それを判断しどのように感じるかは
それを観た人自身なのだ
それってとても面白くて光栄なことだと思う
絵にしたいなと思うとき。
それは
楽しい気持ちとか、とても綺麗な夢をみたとき、
激しい感情が動いたとき
私が初めて過呼吸だと認識した日
段々と手が痺れはじめて
そのうち視界から色がなくなっていった
まるでテレビのノイズのようでまったく周りの形が認識ができない
そして音が遠くなっていった
手がかたまり
呂律がまわらなくなった
呼吸も喉をしめられたように息苦しい
看護師さんに「音が聞こえないんです」と
なんとか声をだせるうちに伝えた
視界は白と黒なので、もはや目をあけているのかどうかも分からない
このなにか分からない恐怖はとてつもないものだった
ふわっとした感覚が2回あった
きっと失神する直前だったのだ
それでも持ちこたえたのは
途中で「いや、死ぬわけないじゃん」
と冷静になれたからだと思う
もうでもほんとに助けて助けて誰か
という気持ちでいっぱいで凄まじかった
とはいっても自分の体の中だから 誰も助けられないんだけど 笑
その日
私はすぐに絵を描き始めた
真っ黒の絵
下地をカラフルな色で埋め
上を真っ黒なクレヨンで塗りつぶし
つまようじでひっかく手法で
幼稚園や小学生の図工でやったことがあるひともいるかもしれない
クレヨンを選んだのは
生命の激しさを表すのにふさわしいから
そんな絵をポストカードにして売ったとき
30代くらいの男性が
ずーっとその絵を観ている
びっくりした
そんなに気になるんだと
しかもとても真面目な顔つきで
買ってくれたときに
「なんでか惹き付けられたんです」と…
人の感じ方は全く違うから
本当に面白くて飽きない
だから もっといろんな意見を聞いてみたい
