己の進む道を尋ねる者、愚かなり。
己の道に従わぬ者、愚かなり。
誰の人生であれ、その人生は、その人生を生きる者が、その人生というドラマの主人公である。
それにも関わらず、私たちは人生というドラマの主人公であるはずなのに、自分を信じることができない。
自分を信じることができなければ、自分が進むべき道もわからない。
自分が進むべき道がわからなければ、自分の道に従うこともできない。
となると、この人生というドラマは実につまらない。
まさに退屈そのものだ。
退屈とは死を意味する。
私たちは、生きながらにして死んでいる。
だが、人生とは生きられるべきために存在する。
よく考えるべきだ。
今の自分で在る人生、つまり今の自分である、この生は、今回で終わりだ。
その一度きりの人生を、退屈でつまらなく、死んだものとして生きるのか?
それとも、楽しく、至福に満ちた、生きたものとして生きるのか?
この選択もまた、自分を信じる必要がある。
もし、道に迷い、道がわからなくなったら、その道を示してやることはできる。
だが、進むのは私ではなく、道に迷ったあなた自身であることを忘れてはならない。
野に咲く花たちが、花になれるかなどと思い悩みはしない。
自分の人生に花が咲くだろうかなどと、考えないこと。
あなた方は皆、この世に生を授かったその日から、美しい花である。
心配すること、これが病のはじまりだ。
病は気から。
心配という頭を落とさない限り、病は治らず、人生は退屈だ。
心配という頭は、斬首される必要がある。
自分の心配という頭を斬り落とす。
心配という病が死ぬ時、新たな人生のはじまりとなる。
ありがとうございます!
合掌

