物事を正しく理解する為には、色んな角度から考察し、見えているものも疑う姿勢が必要だ。

全体が見えた上でも、そこに人それぞれの見え方で、結果が違う事だってある。

それならば尚更、全体を捉えることが必要ではないかと思うのだが、世界的にその傾向は低く感じる。


いわゆる偏っているのだ。


片方しか見ない人たちが、違う角度からそれぞれの見え方を主張しても、重なる事はないだろう。

相手の言い分を理解する為に、少なくとも相手に近い角度で見えていないとダメだ。


それなのに、皆自分の視点が正しいと思いこんでいる為に、永遠に平行線だ。


相手の視点を見ようとするには、豊かな想像力が必要だ。その想像が完璧に模写しているわけではないが、自分からの視点だけよりははるかによい。


もっとも難しいのは、自分が見えてる事を疑う事だ。たしかに有ると認識しても、認識している本人が錯覚を起こしているだけなのかもしれない。


それを考えると、世の中は結局どういう状態なのかは、誰にも明確な答えはないのだと知る。


ならば、想像によって、見たい世界を作る事も可能なのではないだろうか。