盛期スコラ学 | Libentina

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自由に生きたいわたしの現実

盛期スコラ学 (中世思想原典集成)/平凡社
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単純なもの(simplex)は、区別去るべき内存在(inesse)に関して、それを区別するいかなる差異もまったく有しない。36 David de Dinanto

善は現実態または[最高善の]分有に基づいた現実態を意味するが、悪は可能態を措定し現実態を欠如している…最高善は把捉できないものであるが、善が概念を持っても不都合はない。…最高善の善性は確かに不可捉であるが、それは「善」だからではなく「最高の」ものであるためだからである。最高のものは無限に善であり、把捉することが知性の把捉されるべきものの限界への接触を意味する限り、人間の知性によっては把捉できない。174
Philippus Cancellarius

アルベルトゥスにおいては、一方ではアリストテレスに依拠して、神は動かされる事なき第一原動者として、純粋現実態として、自己を知る知性として述べられることがあるけれども、しかし他方ではディオニュシオスに依拠して、神はわれわれのあらゆる概念を超越し、われわれ神について述語づける全ての名称を超えているという点も強調される431

神が存在するということと、神がすべての完全性において万物を限りなく超越していて、今のわれわれに把握しえないということは別である。これゆえに神についてのこの知識をディオニュシオスは「神秘」神学とよぶ565
Albertus Magunus

どのような有もその完全性の最高の段階に即して神的善性を分有することによって直接的に神に還元される…793 Theodoricus de Vriburgo