”(136)ののはなやさし”とても、深いですね。浅学ですが「誰かが見ても、いなくても」この言葉に惹かれました。そこから、お月さまに至る文章は見て見ぬふり、です。お月さまは私にとり、天上人になったママの写し身です。真面目に拝読して、万が一にも、私の中のキメた思い込みが、もし崩れたら、何をよすがに生き続けたらいいかわからなくなる。馬鹿でも、思い込んでいれば、夜空仰いで、お月さまがいたら「ママがいた」と手を合わせ少し、しあわせな気持ちになれるから。