幾度も記しました様に、少女時代までを過ごしたのは輪中の街で、
堤防がすぐ近くで、
よもぎ摘み、土筆摘みは毎春の楽しみでした。
両目とも視力は1.5。
でも、何をか考えながらしているのか、
見つけるのがヘタッピです。
よもぎに至っては、今だに野草と区別つかず、誰かに「トリカブト」に似ていると聞いてからは、諦めて製菓材店の乾燥よもぎにしていますが、香りは薄い。
土筆は形が可愛くて、土筆ん坊とも呼んでいました。
揖斐のママの伯母が長寿の方で、よく動き、春には土筆を摘んで袴を取り除き、茹でて冷凍してママに送ってくれていたから、有るのが当たり前の様に、分けてもらって料理をしていました。
「叔母」の字は誤りかも知れません。
他界した叔父の妻だった人だから、血は繋がっていませんが、良くしていただいて…。
名古屋にボリショイ・サーカスの公演が有った時に、ママとその叔母さんのチケットを用意して観せてあげた時は、
とても喜んで戴いたけれども、他に何の恩返しも出来てないです。
ロシアのサーカスなんて、今は思いもよらなくなりました。
この度のお童子さまは、いつもの
鍋倉先生の作品とは大きく趣きが異なる気がします。
彩色されると更に変化するのでしょう。
このところ病気ではないと思いますが、カラスさんの頻繁な来訪で外ニャンが怖がって来なかったり、近所の目も気になり、日没にフード類を出し、明るくなる前に取り込む様にしたため、
不眠気味で疲労の余り、ニャンの事をアップしてないですが、毎日の食事の世話は続けでいます。
外ニャンも、戻って来ていますが、サバトラ君と白黒外ニャンは昼間もほぼ毎日、他のコは夜ならゴハンのある事を覚えてくれてきました。