”短編小説『邂逅』” | おひろのブログ・libe

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思い付くままに…

「かいこう」
思いがけずに運命的な出会いをする。
この言葉は若い時に出会った中国の小説の中で目にし、難しい言葉であるが故にどんな本かは忘れたけれど、心に残っていました。

ステキなお話ですね。 
私小説の気もしますが、どうでしょ?
こんな風に再会出来る機会が有るとしたら、私は誰に会いたいかなぁ、と記憶の壷の中を引っかき回しましたが、
みつからないでいます。

山村さんが男性で繊細かつ叙情的な方だから・・・
そして、女性は自身の若き頃は忘れず
「どんな年代の女性も胸の中に、少女をとどめる」
から成り立つお話の気もします。
勿論、当時の想いがある事は当然で。


私もまた、女性の一人であるのですが。 私の身近にも叙情的な男性は、思い返せば居た気もするけれど、
年若い頃には、自分の事を「僕」とか「私」と言うより「俺」という人に憧れて、やんちゃで少しばかり、私を引っ張る様な男性に憧れて、付き合うと失望ばかり…。
だからお付き合いした男性には矢張りいないな。

ただ、大切な友人には、いました。
今、気付いた。います、が正しい。

ママがいってから、完璧な鬱になり自分の症状を分析出来る訳も無く、そんな時に、いつもブログ上でも名を出す
裕さんが私を観察し医学書と照合して鬱である事を発見してくれました。
家人は仕事に没頭し、今でも鬱を病む重大さは実感していません。
裕さんは、極力、私を外に連れ出し、
そんな時に、瞬時、空をみるような遠い眼差しすら見逃さずに面倒を見てくれました。
精神状態の微細な変化も見のがさないのも、叙情的な人の特質と思うのです。
私の下の弟と同い年で、13歳近く年下ですが、
振り返れば彼が1番に叙情的ですが、残念ながら、恋情の欠片もない方だし…。
今や家族同然ですから。

男を視る目が確かなら、この小説の様に「邂逅」を体験できたかも知れない。

YouTubeに朗読を出したらいかがですか?
それとも、既に堕していますか?

沢山の方に読んで、聴いて、
欲しいなぁ、って思いました。