アウンサン・スーチーさんの自宅が競売にかけられたそうで、巨大な豪邸。
スーチーさんは現在、獄中であり、所有権で争っていた彼女の実兄がした事の可能性が強い。
ある時、横浜と東京を楽しむ4泊5日のトリップの後半…。
横浜中華街の重慶飯店の、中華菓子販売店で、塩漬け卵の卵黄の丸ごと入った饅頭が大好きで、土産用を物色して配送依頼の後、すぐに食べられる様に袋に5個入れてもらい、店を出て、すぐに食べ始めてしまい、余りの美味しさに、食魔は止まらずに、夕食前に食べてしまった。
サイズは栗饅頭程で大好きな塩漬け卵の卵黄入り…、止まらない。みなとみらいのホテルにチェックインして、
最上階の、脇屋友詞シェフの店「トウランドット」のディナーの予約時間まで、入浴したり休んでいる間に、気分が悪くなり回復せず、私だけがキャンセルして友人には、叱られた。
トウランドットに申し訳無く、翌日のチェックアウトの後のランチをブックして、私はお粥のメニューにしてもらった。
東京に移り、2泊は大好きな「ホテル西洋銀座」で、その夜のディナーは、其処の半地下にあるフレンチレストランを予約してあった。
時間を遅らせてもらっても、体調はイマイチだったけど、そこの前菜の雲丹のゼリー寄せが美味しく、主菜を止めて雲丹を追加して食べて、ヒンヤリして、とても美味しく…、最後は名物のモンブランを食べ・・・
この時に、私達のテーブルを担当したサービスマンが、ミャンマーの青年だった。
顔立ちも外国人にみえず、言葉も日本語を完璧に話す。
横浜のホテルのチェックアウト前に
TVでアウン・サン・スーチー氏のNEW-Sがあり、食事中の話題に出て、
耳にした彼が
「僕はミャンマーから日本に留学しています。」
余りに言葉がきれいで、尋ねたら、既に滞在4年を過ぎていた、
国には帰らずに、日本で就職するつもりだと言っていた。
その時のミャンマーの情勢は、今よりは少し落ち着いていたから、会話の内容もさほどには、緊張感は無かった。
あの青年は、どうしているだろうか。
その時の宿泊が、「ホテル西洋銀座」の3回目で最後だった。
小さくても、雰囲気の良い東京では、一番に好きだったけど、老朽化を理由に壊されてしまった。
西武の堤氏の衰退と関わりが有るかも知れない。