”【朗読】器楽的幻覚 梶井基次郎” | おひろのブログ・libe

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思い付くままに…

ピアノが習いたくとも許される家庭ではなく、いつしか寧ろ音楽を憎むかの様に譜面すら読めなくなる程に音楽の時間は無視をし、学びを拒否した。
心根は音楽が好きで、大人になりクラシックの演奏会に行ったが、拍手する時が解らず、曲名を覚えられず鬱陶しい。
それでも古澤巌のヴァイオリン演奏が好きで特にチャルダーシュの演奏が好きで、真近に聴きたく数回は演奏会に行った。
ロック、アルゼンチン・タンゴ、チャルダーシュ…、私は、ビートが好きみたいで、働いて余裕が出来てからは好きなものだけを、一人で楽しみに行く様になった。
帰宅して余韻が何日も残るアルゼンチン・タンゴは名古屋は機会が少いが、ブルー・ノートの佐野元春や大きな規模の浜田省吾のLIVEは通った。
鬱を発症して過呼吸になりそうに苦しい毎日は、好きなランコムの「ポエム」の香りで部屋中を満たし、徳永英明の楽曲を聴きながら睡眠導入剤に助けを得て眠りに就く。
この苦しさから脱出するまでの3年半位は、徳永さんのファンクラブに入り、大阪から東京まで位の近い場所のLIVEは苦しい体調でも、追いかけていた。
精神的に苦しい時は、ロックの強いビートが胸に響き、ゴスペルは優しく抱いてくれる。
音楽に結局は救われたのは否めない。
「クラシック」と一括りに出来ないけど、その旋律の概ねは、私には、中途半端で薬の役目をしない。
優しいなら、例えばベッド・ミドラーの「ローズ」や徳永さんのバラードの声のように優しさに徹し、力が欲しい
時は佐野元春や浜田省吾、X JAPAN…、等のビートが欲しい。
日常に掃除をするときは、アルゼンチン・タンゴが背中を押してくれる。
クラシックは、コロナ禍前の前橋汀子を最後にした。 全く楽しめなかった。
でも、古澤巌なら、今も行きたい。 
愉しい興奮の余韻のある音楽は、いつでもウェルカムだけど、学んだり、とまどったりの面倒な音楽は要らない。
アメリカのオールデイズはよく聴く。
オールド・カントリー・ミュージックやディキシーランド・ジャズも好き。
ドウワップも含め、R&Bが好きだから当然ロックンロールも好き。
一時は、クラシックを楽しめない事に、ある種のコンプレックスも感じたけれど、
もとより、ひろさんはアート展も好きな作者のものしか行かないから、性格かも知れない。
あまり美術館行かないのを、やや馬鹿にする人もいるけど、何でも行けば良いとも思わず、ビュッフェやユトリロは、連日かよう事もある。
音楽の、苦手なものにめぐらせたフェンスも取り除き、一人、部屋で聴くなら拍手は不要だし、楽曲タイトルも気にいればスポティファイのお気に入りにメモる。
全く、音楽を必要としない人、読書に興味ない人は、私には理解できず、心の中だけで(サイコパスや)と毒づく。