少し前に三浦さんという女性がツイッターに投稿された内容で、
知人に靖国神社を訪れる誘いをしたら、靖国神社より、明治神宮が良いというような返事で、
何故、靖国神社は行きたくないかたずねたけど、
靖国神社はちょっと…、と明確ではない返事。
その後に三浦さんの、行く事を拒んだ方に対しての気持の文章が続きますが、誤った内容を記すと失礼になるので、記しません。
私が東京に度々、遊びに行っていた頃にママに一度、靖国神社に行く様に言われました。
訪れる事が出来たのはママのおかげで、これもまた、ママに感謝です。
『楽しい』とかとは次元の違う場所ですが、館内に戦没者の写真が夥しい数で展示され、親や妻に宛てた手紙、遺品があります。
お手紙は遺言といっても良く、若くして戦死されるも、その時代の、お若い方の書の文字と文章が、立派である事に驚きました。そして涙を誘うのは当然の事です。
祀られている青年たちの誰一人として、戦争を望んだ訳ではなく、戦死も望んだ訳ではない。
それでも、命を落とさざるを得ない時代の中で命を失くしている。
難しい事は記せないけど、国を守る事は内地にいる家族を守る事になる、と、自らに言い聞かせた方も多いと読み物で見た事が有ります。
イデオロギーとか関係なく、日本の為に命を捧げたには違いないのだから、私は日本人なら、靖国神社に限らず知覧や沖縄など、戦没者が祀られる場所を訪れたなら、畏敬の念をもって手を合わせるのは当たり前のこと、と思う。
その方々は愛する妻子や恋人を残し、両親の行く末を心配しつつも、望まぬ戦地に行かざるを得ず、自らの将来の夢も諦めさせられ、生きる権利を奪われ、苦しみながら無念にも、命を失ったと認識して欲しい。
だから避けるのは良くない事だ。
見たくなくても向き合い、感謝と、儚く命を失くした方々の生きたあかしを見て欲しいと思う。
そして反戦の気持ちを持つのだと。
私は展示館を出たすぐの所に、戦没の
軍馬、軍用犬、軍用鳩の慰霊像の所にも浄財を供えた。
作文途中に歯痛で中止していたけれど、お彼岸だし、頑張って記し終わりました。