短編中の短編ですね。
よく、こんな物を見つけ出したなって・・。
カラスがボタンだったり、硝子の破片だったり、誰かの落とした髪飾りの一部だったり、拾い集めてコレクションして、時折、優しくしてもらった人間にプレゼントしたりする。
隠し場はどこかなって時折、詮索する。 これはどこに有ったのかな?
よく、こんな光る作品を見つけたよね。
作中で太宰は自問してるのか?
大正から昭和にかけての文学を志す者は、
啄木が己の貧乏を、事実以上に誇張していた。
貧困をかさにきてるようで恥ずかしい、と妹の証言もある。
結核の罹患さえ、軽ければ誉れにする。
実は満たされていても、自分が文学の世界に居る事に酔う為にまでも。
富裕な作家、有島武郎や志賀直哉、漱石、荷風、太宰、まだまだ…沢山いるけど、実はこの方たちを羨んだかも?
文学をする者は、貧しい中でしか心血注いだ作品が書けない、評価されない、みたいな風潮が少しは有ったようです。
太宰は桁外れな裕福な家の出身だから、
自分の出自に責任が有る訳でもないのに、
ブルジョアを恥じていた節が、作品によく出る。
人間失格とか…、
貧しさをよそおいながら、実家の援助は長く続いていたよね。
但し、晩年近くは、渋い対応をされ、
案外、その辺りで絶望を感じたかも、と勝手に妄想している。