”お皿も乾く” | おひろのブログ・libe

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思い付くままに…

アトリエの入口ですよね。
灼熱の、覆う物も無い我が家の玄関とは大違いの、涼やかささえ感じる佇まいがこの上なく、美しくて、このまま芸術!
お盆の提灯は、何か懐しさと寂しさを同時に感じる不思議なものですね。
この地方は一様かどうか判りませんが、仏壇の前に置く事が多く、我が家にも有りましたが、随分と前から、火を入れる事は無く、中にライトが仕込まれ、4ニャン居た時に、壊す方が、止める方より早く、使う事が無くなってしまいました。
迎え火の、茄子(牛)ときゅうり(馬) の足を付けている時の気持ちを何と表していいか判りませんが・・楽しくはない…。

送り火の後に半紙で包み、川へ流すと聞きますが近くの川には、殆ど水が無く、まるでゴミを捨てるみたいで嫌だし…。
酒悦の福神漬けの起源と話は違うけれど白土三平のカムイ伝の中に、お盆が済んで川に流された野菜を拾い集めて刻んで漬物にして販売する話が有り、他の読み物でも同様の記述を見た事があります。
何処かに流しに行こうかと所在なさげに玄関の台に置いている内に傷みかけてくるのを見るのが厭で、昨年から、自分たちでいただく方が良い、と思い、今年もそうするつもりです。

ところで、歴史に興味を持たなかった後悔が今頃ありますが、徳川幕府は大垣の輪中を島津藩主に命じて工事をさせたのですが、それはそれは大変な難工事で、
(木曽川、長良川、揖斐川、の合流した三角州の上が大垣なのです)
犠牲者は何人も出る、何度もやりなおさなくてならず、藩の財政を圧迫させるなど・・は大垣の学校では必ず習わされ、島津藩には感謝する様に言われたものです。
また、関ヶ原は大垣とはとても近いです。
ついでに、今住む愛知県は、家康、信長、秀吉、の三英傑の出身地で、
合戦のあった桶狭間も、車で15〜20分位の位置にあり
羽柴秀吉と徳川家康の熾烈な戦いのあった長久手の古戦場は、かつて家人の会社のあった場所です。

関係無い話を長々、ごめんなさい。
本文は落ちついてから、再度、拝読します。