ファザーズ・デイ。
私は父の顔すら覚えが無い程、早くに失いました。
写真は帽子を被り顔が影になった写真ばかりで、はっきりと顔が判らない。
正岡子規と同じ病。
だから、痛みははげしかったはずだけど、顔は白かったけど、幸い、苦しむ姿は見なかった。
どんな時に、父親と話したいのだろう?
どんな時に、父親の傍らに居たくなるのだろう?
小説や映画などで、形つくられた父親像は、何となく朧げに想像するけど・・・
ママに対する想いは深く感謝に充ち、
それを思えば、パパをもっと知っていたら、
ママに対する想いに匹敵する感情はあるはずではないか、
時折…、特に世の中がファザーズ・デイの今は、その想いを渇望したくなる。
パパをもっと知りたかったな。