木彫の像というものは、手で触れる事の出来る時には、命の温かさというか、血の流れの暖かさみたいな感覚を感じるものですね。この所、鍋倉先生ではなく、TVで異なる木彫の仕事をなさる方の、仕事を複数見ました。
鍋倉先生の木彫は芸術であるけれど、
その方々の作品は家庭の中や仕事に用いる道具ばかりでした。
自ずと用いる木の材も異なるけれど、
その中で気になったのは秋田の槐の曲がり櫛でした。
採伐してから加工作業までに10年は空気に晒さねばなく、形に作ってからも、時を経ると歪みが出てる為、仕上げの最終成形前に数年待たねばならないそうです。
出来上がった櫛は持ち手に馴染みが良い様に波のように畝る異型で、頭のカーブに添う使い易さの為だそうです。
随分と逸脱したかに思いますが、
私の思いは其処になく、木は採伐されてなお呼吸を続けるとも言われ、しかも木の種類により、一様でないそうです。
鍋倉先生の童子さまは、記されているように、大きくはなく、天然木を使用しての童子様の姿と形、お手にする品々が細かく、湿度に依って形も意図に従わすに作中にも変化するのではないかと想像していました。
素材となる木は既に切られた素材ではあろうが、なだめたり話しかけたしながらの作業は相対するものが自然なのだとも思いました。
彩色を施していない事でより童の純真さが感じられ、崇高にさえ目にうつりながらも愛らしい。
まだ文章は読み込めていません。
早くにご紹介したく皆さんにも観て頂きたく思いリブログさせていただきました。