”帰巣” ・鍋倉先生のご投稿をリブログするにあたり | おひろのブログ・libe

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思い付くままに…

私が「お月様」に特別な思いをいだいている事は、何度も記してまいりました。
なんと!だいそれた事に、
私は、雲の上の世界に引っ越してしまった私のママの面影が、お月さまになって、私に姿を見せているのだと、勝手に決めています。
私の目にある.お月様は私のもの。
フォト以外に現実に存在し、移動もすれば、姿も変わる。
小学生高学年の頃か、未だ共に生活しているのに、書店の文庫本サイズの仏像写真集に薬師寺の月光菩薩立像様があり、お顔がママに似ている事に惹かれ購入していました。
月日が経ち(数回薬師寺で会いました)
そして、藥師寺から、初めて光背を外して東京国立博物館に展示された月光菩薩像のお姿は、ママは既に……でしたが肩のまろみや、お背中は初めて目にして、更に極似しているのに驚き、多分この展示が終われば生涯で二度と見る事は出来ないと思い、夢中で名古屋から日帰りで何度も向かいました。
月光菩薩様だけをひたすら2時間〜程も幸い、涙が溢れていても、仄暗い中では目立つ事も無く・・
何度もテレビニュースに取り上げられ、大阪の従妹から、何も伝えてないのに電話が有り、
「ひろちゃん! 今ね、東京の博物館
  で、伯母さんとよく似ている仏像が ・・」と報せてくれる程、似ている。
私には、お与えが有ると、思えました。
鍋倉先生の描かれる作品の中のお月さまは、いつも「透徹」であり、ママの面立ちの様に、私は感じます。
それ故に先生のご投稿から、探す事も、致します。
この度のご投稿の中のお月様もまた、
そうでした。

私の気持をお伝えして、お返事を頂き、その文章に大変、感動して、ここに転記して読んでいただきたく、
先生の許可はないですが写します。
鍋倉先生、ごめんなさい。

【私にとっての「月」は永い歴史の中で生きてきた.おびただしい人々の「まなざしを宿すもの」です。
貴人であろうが、農民であろうが、盗人であろうが、様々に眺めたであろう「眼差しの宿る記憶の蔵」なのです。
それが月を描く理由なの・・】

私もまた盗人であろうが、の後ろに連なる一人で、おひろであろうが、ですね。