永井荷風・濹東綺譚(ぼくとうきたん)を聴いた | おひろのブログ・libe

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思い付くままに…

随分前に松田優作が永井荷風を演じていた事があり、実際の荷風はスーツ姿が多かった様だけれど、番組での荷風は、冬の、インパネスを羽織った姿、夏は夏で久留米絣や麻の着物を着慣れた様に少し崩し飄々と歩く姿が、それはそれは魅力的だった。  

以来、私の中で荷風は背が高く、常にハットを被り飄々として歩く姿の作家として好きになった。松田優作が演じた姿が荷風と重なる。単純!バカです。


昨夜「濹東綺譚(ぼくとうきたん)」を読み聞かせで聴いたけれども永井荷風の私小説かと思える。

老境に差し掛かった作家と若い娼婦とのロマンスを主軸に描かれている作品でウィキペディアに詳細があり、荷風の最高傑作とも評される。


若い娼婦に惹かれはしても、のめり込む訳でもなく、それ以前にも何人もの娼婦と関係があり、ブルジュアの初老の男が夜の街を人恋しさ故か彷徨い歩く。 (この場所は私娼窟ともいわれ、荷風が固執し、実際、通い詰めて地図まで描き残している。 )

大きな妓楼ではなく、娼婦は1人か2人しか居ない小さな私娼家(?)で客をとる若い女に出合い、惹かれて通いはじめ、懇ろになる。。

「私」は金満家で女に優しく接しはしても、彼にとっては大きくない額で女をその世界から救い出す事も出来るが、それをしない。

概して女は安寧をもとめる生き物で(と思う)、優しくされ、だんだんと期待する様になった頃に、女の前から突然に何も告げず、去ってしまう。

縁取る細かな話や他の女給なども出るが、割愛する.


女の立場としては、厭なヤツだなぁと思ったが……。

男であれば、金も自由も有り、通人気取りの遊びは羨ましいかも知れない。

この男、親身になるかと思えば黙して去るのは酷だろう。 

いい年して通人か何か知らないが、年若い女が、濁り水の中に好き好んで身を落とす訳は無いだろう。

単に吝嗇なのか、不幸な身の上の女の気持ちを弄んでいたか、としか思えない。ヤダヤダ。


実際の荷風は、ほぼ、この「私」に似た人間の様だ。

二度も結婚しながら、一度目は父親の勧めた嫁で.じきに別れ、二度目は娼婦を見初めて、親類含め家族の大反対の大騒ぎを無視して結婚するも一年程で 破綻する。

その後は全く妻帯せずに女性を求める時は遊郭に行き、一人暮らしをしながら作家活動をするが、家族や親類の信頼を失い見限られ、孤独に他界しているのを発見された。

ある意味、通人ぶった生活ぶりは興味深いが、無頼派作家の坂口安吾は、荷風を猛烈に嫌悪し、彼の作品に対しては通俗小説と評し、人間性も罵倒に近い言葉で切り捨てる。

荷風は千葉県市川市に居を移して後の他界で、知らせを聞いた坂口安吾が駆けつけた時には、まだ警察官が居て、何故か荷風は真っ裸で浴衣がかかっただけの姿で発見されたと、後に記している。

以前に記事で知り得たが、発見された時に、荷風のボストンバッグに家の権利書と二千数百万円の残高の預金通帳と現金も今の数十万に値する程、残されていた。

通帳残高だけでも、今の価値なら1億円を軽く越す額で常に持ち歩いていたらしい。

 

作品は抒情豊かで美しいとも評されているので、男性目線だと、多分、受け止め方は異なるだろうが男性目線を持ち合わせない女性の私には、身勝手な実の無い初老の男と、期待を裏切られた哀れな若い娼婦、としかうつらない。


なお、この物語は新藤兼人監督、津川雅彦主演で映画化されている。