谷崎潤一郎・「秦淮(しんわい)の夜」を聴いた | おひろのブログ・libe

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思い付くままに…

なんでも谷崎は1918年に満洲を経て南京を訪れたそうで(これは本当の事らしい)、実話か創作かは判らないけれど、中国語を全く解さない「私」が日本語の堪能な信頼出来る、と思う男のガイドに中国料理店を案内させ、共に食事をする。

満腹になって、まだ宿に帰るには早かろうと日本で言えば「遊女」を探しに街の狭い路地を巡り回り

絶世の美女にも会うが・・・・・最終的に稚さの残る様な女を・・・・・


始まりの部分が、宿で夕飯を出そうとするころを、断って中国料理を食べに出掛けるくだりで

食べ物の話の多い作品かと期待するも全く触れずで失望。

結局、男は・・・みたいな


誰かが言ってたな。

男は知識や経験を得ても、ある意味、思考は5歳児で停まってる、と。


正直、作品自体には感動もなにも…。 かな?