「心神喪失で無罪の可能性」という判断は何を基準に?
1981年にパリで日本人留学・大学院生の「佐川一政」は友人のオランダ人留学生の女性25才を殺害し・・・・・・
の事件の概要を記し始めましたが、余りにおぞましく、奇怪で衝撃的な内容だけに、目に留めた方に申し訳なく、記す事を途中で断念し今、削除して作文を再開しています。
私が説明しなくても、大概の方はご存じだろうとおもわれ、伝えたい事だけを記す事にします。
この犯人は
❶「心神喪失」の判断のもと無罪を勝ち取り、フランスの精神病院に約半年間の入院、翌年に帰国し15か月の入院で一般市民社会に復帰していて、作家活動をしている。(紆余曲折の中で実母の自死他、生活保護受給の生活等など・・・ながら今も存命で様々な〈?と思う物も〉活動をしている。)
❷フランスでの前に、日本国内でドイツ人女性を同じ目的で襲い、逮捕されたが父親が多額の示談金を払って和解し罪に問われていない。
❸この人物は幼少の頃から、この事件の中の、特別な嗜好を欲していた。
「心神喪失」は、こんな人物にも「お咎め無し」
である。
「京アニ事件」の犯人がもし、「心神喪失」の判定により無罪を得られたら、36人の犠牲者の遺族と、犠牲者の誰かを愛していた恋人や将来を誓った婚約者など、犠牲者に思いを寄せていた人にとっても、たまったものじゃない。
加えて32人の重軽傷者もいる。重症者は多分、火傷と想像した場合、少し前に硫酸をかけられた被害者同様に失明やケロイド等で残りの人生にも苦難は伴うだろう。
で、あれば、心神喪失であろうが、犯人を一般の市民社会に放出する事は、1個人の自由を守る選択と体裁はいいかも知れないが、許す事は出来ない。
遺族ほか私たち一般の人間に取っては不安そのもので、ガソリン持参は計画的とも思え、心神喪失は納得できない。