虹の橋にいっちゃったけど、欠食児童さんと名古屋市内の八事の彼の好きな珈琲店から出たら、扉横の坪庭に、この親子が居て、小雪舞う真冬で寒そうで、すぐ近くのコンビニでフードや牛乳や器を買い、私のマフラーを敷いて与えた。保護は無理と諦め帰宅。

でも大きな交差点の傍であり心配で落ち着かず、1週間経った時に確かめようと、また二人で行った。
どうぞ、もういません様にと願いつつ、着いて階段上がったら、😓全員いて「困ったナ」と思った瞬間、既に欠食児童さんが親猫と仔猫三匹抱いて車に向かってしまい、勢いでワタシも残りの仔猫抱いて車に載った。
結局、連れていくところが無くて彼の車の中で1ヶ月半も親子は暮らし、彼等を乗せたまま欠食児童さんは仕事をし、あの潔癖症が車のなかで5匹ものニャンの食事や排泄の面倒を1ヶ月半もみるとは❗
よく、そんな長い間.逃さずに済んだとも感心する。
その頃の彼は実家暮らしで、お父様が「また、変な事をやっとるわい」と言ったけれど、それだけ。
私は必死で保護先を探したけど見付からず、かかりつけの獣医さんに相談。
親猫は避妊手術する事と4匹の仔猫は待合室にゲージに入れて保護する方を募集。でも、今回限りで2度目は無い、と、キツく叱られた。
一時、私の家に手術日まで親子で数日いた。
家に既に2ワンコと2ニャンが居て逆に仔猫を怖い物見る様に避け、まあ❗仔猫たちは至る所に入り込み、それはそれはカワイかったなぁ。
名前が無いのは可哀想でも、情が移るのが怖く、親猫が「ま」以下仔猫たちに「み」「む」「め「も」と、付けたけど名を呼ぶ暇無く走り回る。
保護しても多頭飼いは、それぞれに目が配れないのは、3ワンコ居た時に1ワンコの病気に気付けず辛い後悔の経験が有り、苦渋の決定でした。
最終的には「ま」の親猫は希望者無く「まりちゃん」になり私の元に、仔猫たちは皆、愛猫家に引き取られました。
(続く)