
多分ご存知の方もいらっしゃるかとおもいます。 9人の姉兄の後に、10人目として生まれた彼女は、種子島のそれはそれは貧しい家庭に育ったそうで、お母様は、何かというと.この粉を駆使して何でも作っちゃうと、食関連のバラエティ番組で、明るい笑顔で、この品を紹介しました。 数年という短い芸能活動の後に彼女は自らの命を断ちました。 その世界においての悩みもあったみたいですが、東京に居る間にお母様が他界され、その事で大きなショックを受けたのが最大の原因かも知れません。 私は長女の為、母と最も長く接する時間が持てました。 それでも母を思えば落涙し後悔ばかり。 もう、彼女がいってから10年位たつでしょうか。粉が無くなりかけると彼女の笑顔を思い出し、つい、取り寄せています。 今頃お母様に甘えているだろうと信じて。