天秤にかけられたら どちらが重い? 私は生きているから遺族側にたち 述べてみたい 自死した人は苦しみから解放されたいから実行するのだろう そうしたら こときれた瞬間に 楽になるのかしら 遺族は多くの場合 最低でも数人の人々がいると思うけど 判ったその日から煩雑な手続きとセレモニーが待っている それらを実行しつつ…… 済んだ後からは殊更に 救えなかった悲しみと自責の思いや後悔 喪失感 寂寥感 の苦しみが始まる また夫を亡くした女性で子の養育と生活のある人は すぐにも 金銭的な苦しみも有るに違いない 遺族が両親なら 体を切り刻まれる程の苦痛だろう 親を亡くした子供なら 生涯 自分の背に深い悲しみを運命として背負い 今の日本なら縁談や就職に差し支える事もある 他にも身近にいて 心にかけていた人も 本人が思うより多い場合がほとんどだと思う まだ漏れているかも知れない…… 自死する者は その人たち全てに 大きさに差があっても 棘の様な ガラスの破片の様な物を 胸の中に入れ込むのだ 手術しても取り除けない 「それ」は誰も取り出せない 常に痛い 死のうとする人は 死ぬ前にしばし それを考えて欲しい 「死ねない程の絶望」とか「死ぬに死ねない」という言葉が有る (身近でも何度も聞いた)
つまり それは何とか生きられる という 事じゃないのかなあ? 死のうとする人であるあなただけに踏みとどまれと言うのは 酷 ですか?
Ps. 死のうとしているあなたは 過去にとても大切な 大好きな存在 たとえばペットでもいいけれど みおくった事はありませんか? その時の悲しみを思い出して下さい 病や事故や寿命で大切な人をみおくっても遺された者の胸は痛む それが自死遺族になった時の苦しみと悲しみは それを遥かに越えると私は思うよ