「いい点数をよるため」、

「いい学校に入るため」、

「いい就職先に入るため」 …。


誰かの作った合格基準を超えることで評価される。

 

「合格」という目的に向かってできるだけ効率的にアプローチする。

 

これを極めていくと、基準があることには、頑張れるけど、

基準のないことに関しては、頑張れなくなる。

 

頑張れなくなるというか、どうしていいかわからない。


つまり想像力や、自分で考える力が育まれずに、

言われたことしかしない人が育ってしまう。

 

大きな組織で考えられないような失態が繰り広げられることを

目の当たりにするたびに、

いわゆる優秀な人たちの集まりなのに…。

という思いになる。

 

優秀ってなんなんだ。

普通ってなんなんだ。

 

ダイバーシティを学ぶと、

その定義そのものを疑ってしまう。

 

アンコンシャスバイアスに感情、思考、行動が支配されている。

 

だから、考えられないような失態が繰り広げられる。

 

そういうこともあってか、

社会に出て、

自我に目覚めた若者が、

生き方の方向性を見失い、

現実との葛藤や将来への不安を抱え、

思い悩む。

 

そして自分探しの闇にはまる…。

多くは、自分に悩みや迷いが生じたとき、

自分以外の何か、

自分以外の誰か、

自分の外側に答えを教えてもらおうとする…。

 

想像力を働かせ、自分で考えないといけない問題を、

今まで通り、何かの基準を求めていては、

一生、その答えは見つからない。

 

このままでは私たちはどうなるのでしょうか?
メディアというコントロールされた媒体を通じて知り、
自分探しを続けて終わるのだろうか…。

 

世界的規模の水や食糧の不足、気候変動、環境破壊という事実に目を閉じて、

お金を使う事で経済が回る…。


テレビをつければ CM が流れ、雑誌を見れば広告の嵐。

貧困で今日食べるものもない人がいる一方、飽食状態の国では食料廃棄…。


便利になったのに、なぜ私たちの心は何かが不足している。

 

物質的豊かさを手に入れた半面、

私たちは何か本当に大切なものを失ってしまったのかもしれない…。

 

答えは自分の中に、
そして、未来は対話の中にある。

 

シンプルだけど、ディープなこの問いに今日も向き合ってみよう…。