『人はなぜ生きるのか?』

 

『人は死んだらどうなるのか?』

 

誰もが考えたことがあると思います。

 

どんなに考えても答えは出ない。

 

私たちは、体験したことがないことは語れない。

 

ただ、死ぬ間際に走馬灯のように自分の人生を思い出すのではないか?

 

これも、また、経験したことはないのでなんとも言えないことだが、

 

きっと走馬灯のように自分の人生を思い出す、

 

これを前提に生きるとする。

 

そうするならば、

 

走馬灯のように思い出す時は、

 

自分の心を偽ることなく、

 

正直に思い出し、

 

自分の人生に〇(マル)をつけたい。

 

私の人生、

 

これでよかった、

 

『全くいい人生だった!』と、

 

思いたい。

 

 

 

だから、今、ここを生きる、

 

”腹に一本の槍をくくり”

私の人生、これでいいんだ!

あり方で生きるんだ。

 

全身に何百の武器を仕込んでも
腹にくくった一本の槍にゃ敵わねェこともある。

 

今、

 

”腹に一本の槍をくくり”

私の人生、これでいいんだ!

あり方で生きるんだ。

 

と、決めない限り、

 

自分の人生に〇(マル)をつけることはできない。

 

死ぬ間際に、

 

私の人生、これで生きていく!

 

と、決めても、

 

何もできないじゃないか。

 

できることは、

 

後悔しかない。

 

私たちに必要なのは、

 

人生の後悔ではなく、

 

人生の航海。

 

”腹に一本の槍をくくり”

私の人生、これでいいんだ!

あり方で生きるんだ。

 

と、自分で決めた方向へ

勇気を持って航海すること。

 

自分のコンパスを信じ、

その方向へ全速で進むこと。

 

道を外さず、

自分の心を偽らずに、

自分の信じる道へ進むこと。

 

私も組織に所属して、

 

自分の生活のために自分の心を偽ったこともあるが、

限界ぎりぎりでは、

自分の心を偽らずに自分を信じた。

 

その時に繰り返し見ていたのが

以下のYouTubeでした。

 

https://www.youtube.com/watch?v=AXXSozqg6m0

 

勇気づけられたことを思い出します。

 

人は生きるために毎日選択を積み重ねていきます。

 

何を選択するのか?

 

選択する基準は何なのか?

 

基準がない限り決断できず、選択することもできません。

 

他人の評価ばかり気にする、

 

組織の中で与えられた課題(塗り絵)をこなすことを気にする人は、

 

その基準で人生を決断し、選択を積み重ね、

 

そこそこ幸せに生きていくでしょう。

 

しかし、

そのような生き方、自分のあり方で、

人生の最後、

死ぬ間際に

私の人生、

これでよかった、

『全くいい人生だった!』と、

思えるのか!?

 

やり方よりもあり方で生きることを考えれば考えるほど、

この問いから逃れられない。

自分の心を偽ることができなくなる。

 

「死ぬ時に、自分の人生に〇(マル)をつけられる生き方」

 

これを意識したいんだよね。

 

全身に何百の武器を仕込んでも
腹にくくった一本の槍にゃ敵わねェこともあるから…。

 

そのために、

”腹に一本の槍をくくり”

私の人生、これでいいんだ!

あり方で生きるんだ。