「あり方を探求する」というのはどういうことなのか。
あり方とは、存在する状態のことなので、「あり方を探求する」と言うのは、(自分の)存在する状態(意味)を探し出すということになる。
めんどくさい話だな…。と、思うかもしれないが、
私たちは、日々の生活であり方を問われることは少なくない。
「将来どんなことをしたいの?」
「将来どんな仕事をしたいの?」
「どんな暮らし方や働き方をしたいの?」
「家族や恋人とどんな関係を築きたい?」
「未来がどんな世界(社会)だといい?」
「あなたってどんな人?」
「あなたは何者?」
「世界は、あなたに何を期待していると思う?」
以上の質問は、あなたの「あり方」を問うているわけで、
今までの私たちは、
「いい大学に入って、いい会社に入りたいです!」
このように答えていたら概ねOKで、
でも、その答えって、
よくよく考えると、
全く自分の「あり方」について答えているわけではない。
なのに、今まではそれでOKだった。
〇〇商事の△△です。
それは立派なところにお勤めですね。
会社が私たちを幸せにしてくれるわけではないのに…。
どんなに出世しようと、地位や名誉は私たちを幸せにしてくれない。
働くために私たちは生きているわけではないのに…。
過労死、人は働きすぎると死んでしまうのだ、これって何なの?
幸せになるために私たちは生きているのに。
幸せになることを考えるなら、
まず、考える必要があるのは、
「どんな暮らし方がしたいの?」だろうと思う。
その次に、
「どんな働き方がしたいの?」
これを考える必要がある。
「あり方」って、皆が驚くようなことではなく、
「自分が何を大切にして暮らしているのか?」このようなことだと思う。
何が好きで、何が嫌いで、どういう時が心地よくて、
徹底的に自分本位で考えていい。
自分本位で考えるからこそ、
相手を認めることができる、尊重することができる。
尊重することができるからこそ、
力を合わせることができる。
だから、「あり方」を明確にする必要がある。
「あり方」を明確にしなくても、
そこそこ生きていける。
「ふわっ」と生きていける。
だけど、人生の最後まで「ふわっ」としたままではいられない。
と、私は思うわけです。
あるアンケートによると、
90歳を超える人に「あなたの人生はどうでした?」と質問をすると
ほどんどの人が「もっとチャレンジすればよかった!」と答えたそうだ。
「ふわっ」と生きても、人生に後悔がつきまとう。
だからこそ問い続けなければならない問いでもあるのだろう。
簡単には、答えは出ないことを前提に…。
もちろん「毎日問答しよう!」と言っているわけではない。
ただ、「将来どんなことをしたいの?」「どんな暮らし方や働き方をしたいの?」「何のために生まれてきたの?」といった具合に、時にはあり方を問うことで、今の自分を省みるきっかけとなり、自分が望む未来に進みはじめることができるのだ。
「より良く生きる」という言葉があるがあるように、あり方を探求する意義は、自分の人生を生きている実感を手にすることだと私は思う。
自分は人生の主人公、
主人公の役割は人の数だけある。
だから、正解なんてどこにもない。
可能性としては、
答えは、自分の中にある。
そして、未来は対話の中にある。
自分の中にある答えを生きる。
しかし、なぜか、とても難しい。
情熱と勇気を必要とする。
そして、応援してくれる仲間が。
人はひとりでは生きていけないから。