自分の中の満たされていないものを意識すると、

 

そのフィルターで世界を見てしまう。

 

例えば、

 

人間関係の真のつながりを求めている人は、

 

最初は、他人のためにと思い善意でお世話をするけど、


その行動がエスカレートすると、

 

これだけ、相手のためにお世話したから、

 

それに見合うだけの見返りを求めはじめる。


人間関係の真のつながりが欲しかっただけの行動が

 

いつしか、見返りをお金に置き換えてしまう。


そのお金を受け取るに値するお世話を今までしてきたから、


お金を受け取って当然という思い込みとなってしまう。

 

そして、お金が受け取れないとなると、

 

善意が悪意に変わり、

 

お世話が攻撃になることもあるかもしれない。

 

自分の中の何か満たされていないものを

 

出発点とした行動は、

 

このように複雑化することが多い。

 

と、私は思っている。

 

満たされていない、

 

つまり、欠乏感。

 

欠乏感は、欠乏感を生むのだ。

 

 

だから、

 

他人と比較することなく、

 

今、

 

自分が満たされていることから

 

世界を見て行動する。

 

わずかな、満足感でいい。

 

満足感は、満足感を生むのだ。

 

小さな光でも、

 

集まれば光輝く。

 

そう、信じている。