子どもは、

小さな虫を捕まえたり、
幼稚園で楽しかったことがあると、

「ねえ 見て見て~!」
「ねえ 聞いて聞いて~!」を連呼します。

それは、子ども特有の甘えで微笑ましいことです。

子どもは、まだ自分が何者かがわからないので、

まわりの大人から関心をもたれ、注目されることによって、自分のことが特別で大切な存在であるという安心感を得るのです。

しかし、私たちは疲れている時は、それがとても面倒なことに思えます。

このことから、
私に注目して欲しいとか、関心をもってほしいという要求は、相手のエネルギーを奪うということなのです。

一方、
「今日は元気そうだね。」とか、
「髪型変えて、素敵だね。」などというような、相手に注目し、関心をはらうことは、自分のエネルギーを、わけ与えることなのです。

それは、どちらがよくてどちらが悪いというものではなく、バランスが大切なのです。

しかし、大人になっても、
自分に注目して欲しい、
自分に関心をもって欲しい、
自分を認めて欲しい、
ということを動機として、常に行動している人がいます。

その人は、常に相手の反応によって一喜一憂することになります。

あるいは、相手が期待通りの反応をしなかったことに腹を立てたりします。

そして、残念なことに、その一連の行動が相手のエネルギーを奪っていることに全く気づいていないのです。

近づくと、エネルギーを奪われる人のそばにいたい人なんていません。

「最近、仕事や人間関係がうまくいってないな~。」と、もし感じているのであれば、日頃の自分の行動や言動を振り返ってみてください。

「今日は元気そうだね。」とか、
「髪型変えて、素敵だね。」などというような、相手に注目し、関心をはらうことをしていますか?

自分のエネルギーを、わけ与えることをしていますか?

自己犠牲ではなく、自分に無理なくできることで、誰かを喜ばせていますか?

自分のエネルギーを分け与える生き方が、できていますか?