会社のため、社会のため、全体のために何かをしようという言葉をあまり信じないようになった。
確かに必要な概念なんだけど、
全体がよくなることで、個人が満たされることはないと思うようになったからである。
まずは、一人ひとりが満たされない限り、
全体は、良くならないと思うからである。
全体のためという言葉がまかり通るようになると、
どうしても、個人が尊重されなくなるのだ。
そんなことを考えていると糸井重里氏の言葉が目についた。
ぼくは、じぶんが参考にする意見としては、
「よりスキャンダラスでないほう」を選びます。
「より脅かしてないほう」を選びます。
「より正義を語らないほう」を選びます。
「より失礼でないほう」を選びます。
そして「よりユーモアのあるほう」を選びます。
そうそう、これなんですよ。
全体のために、という言葉が前面に出はじめると、
スキャンダラスなことが選ばれるし、
脅しが使われるし、
正義が語られるし、
個人が尊重されなくなるから、失礼なことが多くなるし、
そして、ユーモアが無くなる。
人を尊重する、人を大切にするマインドがコーチングであり、
人の行動を操作することなく、
人生の主人公と思えることがコーチング。
このような信念が、全体のためを押し付けることに心が反応して、ざわざわするのだろう。
そんなことに気づいた。