アメブロがはじまった14年前、あなたは何をしてた?
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14年前、まだ実家にいましたね。
介護してた気がする。
父方の祖母です。自分は母子家庭なので、
父は知りません。
介護も突然のことでした。
この介護があり、自分の出生の複雑さを知るのですが
1本の電話からでした。
民生委員の方からで、
祖母が末期の膵臓癌だと、認知症も進行してました。
2〜3歳の頃に会ったことあるかなぁぐらいのぼんやりした記憶はありましたが、
ほぼ記憶にない‼
天王寺にあった、近鉄百貨店あべの店の鰻屋さんの記憶とセットですw
介護といっても、入院してますから、
毎日病院行って、話し相手して、
洗濯物回収して、
たまに主治医の先生から、病状とか、余命の話を聞いてた感じですね。
期間は10ヶ月くらいですかね。
いわゆる終活期間がもてたので、
お葬式とかの打ち合わせの時間もあったし、自分でもお葬式の本を読んで、費用とか、戒名について勉強しました。
だから、葬儀屋さんやりにくかったと思うw
棺とか、木魚とかも、等級があって、値段もピンきりなんですよ。
知らないと進められるまま契約して、
葬式代の請求みてビックリなんてことになると思います。
20代前半のころは、童顔なのもあって、よく中高生に間違われた。
なので、葬儀屋さんも初めは、
高いものを値段言わずに進めてきましたねw
しかも、学生さんが喪主なんて偉いね〜的なのりでした。
でも、本で読んでたので、
葬儀屋さん「棺は、檜せいのこちらの装飾入りのものでいかかがでしょうか。」
禮「装飾は蓋だけですか?」
葬儀屋さん「いえ、こちらは側面にもございます。」
禮「そうですか、それ○○万くらいですよね。シンプルなんで○○円のやつがあると思うんで、シンプルなんにしてください。」
葬儀屋さん「あの、お婆様の功績を考えると参列者様もあれですから」
禮「家族葬でやるから気にしません。葬儀プランはたしか、家族葬で○万円のやつでおねがいします。」
葬儀屋さん「えっ」
終始こんな感じで、
こちらが具体的な値段を言っていたので、葬儀屋さんタジタジで、
ほんとに、汗の量が半端なかったw
2回目以降は、担当が変わって肩書きのある方になりましたw
その人に言われたことで、今もツッコミたくなることがありました。
葬儀屋さん「木魚なんですが、こちらのものでいかかがでしょうか」
禮「なんで白いんですか。普通に3Kのでいいですよ」
葬儀屋さん「いえ、こちらは△△の木魚になりまして、禮様が希望されるのも悪くはありませんが、
音色が格段に違います」
禮「は?( °д°)」
葬式に、木魚の音色楽しみにくる人なんかおらんやろ( ・(ェ)・)
ま、丁重にお断りしました。
家族葬で全部で12万円でした。
読経もしていただいたし、
戒名もいただきました。
お寺さんへのお礼は戒名代込みで
10Kでした。
別に値段でどうこうとは、思いませんが、
葬式って残された側の心の整理をする時間なんだと思います。
だから、最低限、祖母の姉妹や孫達が最後の別れをできる場を作れればいいと思います。
介護を始めてから、何度かそれまで祖母の住んでいたところへ退去手続きや、片付けのために行きました。
その時に、祖母が入院するまえまでお世話になった方や、関わった方のリストは見ていました。
そして、連絡もさしていただき、ほとんどの方が、祖母がまだ意識のあるうちに見舞いに来てくださり、
その時に、こちらからは何も言ってないのですが、
葬儀の連絡はいらない、家族で送ってあげてほしい。葬儀後、お墓を教えてください、と言われる方がほとんどでした。
この経緯かあったので、家族葬という判断ができました。
今は、自分は地元を離れています。
時折、握手会や、出張で関西に帰るときに墓参りにいきますが、
毎回、色とりどりの花が添えられている祖母の墓に、
まわりの方に恵まれ、今も来てくださる方がいることに感謝です。
祖母の介護で、一番大変だったのは、
食事な気がします。
最後の4ヶ月は、ほとんど食べれない状態で、担当医と相談し、祖母自身が食べたいものを食べてもらおうということで、
祖母に聞くと、
4〜5月くらいはメロン
5〜6月くらいにアメリカンチェリー
6〜7月は、スイカと巨峰
季節感が
アメリカンチェリーは、ほんとにめっちゃ探しました。
6月にないよ〜とか思ったけど、
食べれるならね。
今となっては、よい経験でした。