雑誌『AERA』の5月2・9日号に「ブラックPTA改革3本の矢」という記事がありました。PTAは言うまでもなく子どもの親と教師が協力して教育効果を高めたり、子どもの成長を促すことが目的です。
しかし、どこの学校でも共通して言えるのが、PTA役員のなり手が少ないということです。その主な理由が負担が大きいからです。
『AERA』の記事にも、「PTAが敬遠されるのは、子どものためとは言いがたいブラックな活動が残っているからだろう。無駄な作業は思い切って“断捨離”したほうがいい」と指摘しています。
PTAの活動内容や活動方針は暗黙の了解で、前例踏襲されているところがほとんどです。「無駄」と分かっていても誰も変えられないのが現状だと思います。
『AERA』に書かれているように「会長がトップダウン方式で変える」しか“断捨離”はできないのかもしれません。
私の娘たちが通っていた小学校や中学校でも子どもが在学中に1度は委員をしなくてはなりませんでした。PTAの委員を決める場では「共働きだから」という理由は通りません。専業主婦であっても、共働きであっても等しく扱われていたのです。これが平等かどうか、今でも疑問です。
ともかく、一度は委員をしなくてはならないのであれば、なるべく負担の少ない委員をしようと思うのはみんなが考えることです。そして委員の部長は何とか避けようとしていました。部長になれば平日学校に赴き、先生たちと話し合いをする機会が多いからです。
で、私たちが選択したのは「広報委員」でした。年に2回PTA新聞を作成して、全児童の家庭に配布するというものです。運良く部長の役はのがれることができました。広報部長になった方は仕事を持たれていたので、会議や作業は夜か日曜日に開かれました。それでも月に何回か学校に集まらなくてはなりませんでしたので、それ相応の負担はありました。我が家も共働きですので妻が出席できないときは、私が出たこともあります。妻も私も仕事のやりくりに苦労しました。
PTA新聞が無駄だとは思いませんが、ダラダラとした締まりのない会議が多かったような記憶があります。会議半分、懇親会半分といった感じでしょうか。時には何も決まらない日もあったりしました。こういう無駄な会議を省けば、もう少し負担が減ったと思います。
PTAの原点である「子どものために」という立場に立って、無駄な活動、無駄な会議をなくす努力が必要です。でなければ「PTAはブラック」というイメージは払拭されません。