あまり寝れなかった。疲れている。雨が降っていて寒く、沈鬱である。

 

昨晩、葬式を取り仕切った牧師と会う約束を取り付けた。午前11時に待ち合わせだ。何か彼の家族に言いにくかったのだが、隠す必要も全くないので、待ち合わせている事を伝え、車で送って貰った。

 

会おうと思った理由は、私が持っている罪悪感を話してみたかったからだ。私は宗教はどれも信じていない、と一応牽制してある。私の罪悪感と後悔を彼に聞いてもらい、それがこの牧師の人格と人生経験というフィルターを通って、どのような言葉として私に向けられるのか、興味があったのだ。

また、私の罪悪感は、彼の家族に向かって話せるものではない。返事は予想できるし、責められるのが怖い。

 

待合場所からすぐそばのカフェに入り、朗らかな日常会話から入る。不思議な雰囲気を纏った人だ。達観した様な、それでいてどこまでも人間的で、一緒にいて安心できる。宗教従事者に共通するものなのだろうか。

 

コーヒーを買い、座ってしばらくした後、本題に入った。一応昨晩頭の中でシミュレーションしたのだが、涙が出てきて、思いの外言葉に詰まった。この後に及んでまだ自分が泣くとは思っていなかった。シミュレーション中は、もし泣けなかったら牧師に辛さが伝わらないのでは、と少し打算的な心配をしたのだが、杞憂である。もちろん話し中にそんな事は考えていなかったが。

牧師はしっかり話を聞いてくれる。反応は予想通りとも言えるし、予想以上とも言える。色々な話をしてくれた。

 

この牧師は想像すら出来ないような、壮絶で苛烈な人生を送ってきた。その出生からして重大な秘密を持っている。むしろそこまで私に話してくれた事に驚く。しかしその過去を知ってしまうと、言葉の一つ一つが比類なき重みを持って、私に届く。言っている内容は、例えば胸を透く様な、罪悪感がその場で昇華される様なものではない。

 

「最後の数分でなく、7年の良い思い出を大切にする」

「彼は私といる事を選び、それが彼にとっての幸せだった」

「私は出来る事全てしたし、他の誰もそれ以上する事は出来なかった。普通の人間がする事だ」

「病院で亡くなる90%の患者が家族のいない時に逝く」

 

特に印象的だったのが、

「罪悪感で自分を責める事が今は心地よいはず」

「自分の為に泣いているのか、彼の為に泣いてるのかはっきりした方がいい」

という言葉である。

 

今思うと辛辣な言葉である。非常に冷徹で客観的で、突き放している。それでも優しく響くのは、彼の人格に依る物なのだろう。私には見えなかった視点だ。

 

話している時間の半分は涙が止まらなかった。むしろその状況に慣れてしまって、どのタイミングで拭けば良いのか分からなくなったくらいだ。少し目に貯まったら拭いた方がいいのか、目から溢れるのを待った方がいいのか。どうでも良い。

そんな中でも笑える話をしてくれる牧師の話術は素晴らしい。

 

最後には、気分が晴れ晴れとした訳でもないが、時間が経てばこの気持ちと共に生きていける、と納得した。指輪みたいなものらしい。最初は違和感から弄ってしまうが、そのうち気にしなくなる。

考える頻度が減ることにまた罪悪感を感じるらしい。いかにも私が考えそうな事である。そう予想出来れば、軽減されるかもしれない。

 

ハグをして別れた。会って良かったと思う。救われはしないが客観視は出来る。

 

その後家に帰ると、直ぐに墓地へと行く時間になった。彼の遺灰を墓石前に埋葬する。車で行き、オフィスで彼の遺灰が入った木箱を見る。小さくなったものだと思った。

薄暗く灰色の空、冷たい雨が降る中、息子Pが墓石まで運ぶ。晴れていればと思う。私もそれを持ってみたかったのも事実だ。彼を近くに感じられたかもしれないし、重みにも興味があった。しかし自然な流れでPである。

 

墓石前に着くとそこには既に四角い穴があった。Pが遺灰をそこへ下ろす。順に土をかける。生前煙草を吸いたがっていた彼の為に、煙草そこへ入れたかったのだが、あまりに失礼な事態になる恐れがあったので、そばに置いてある、私が花に添えたメッセージカードと一緒に袋に入れておいた。

 

涙は出ない。牧師との時間に沢山泣いたし、ここまで来ると流石に儀式的だと感じた。感傷的な気分にならない訳ではないのだが、彼との関係はもはや私の内のみにあるもので、遺灰は自然へと還る。

 

その後昼飯を食う。寝不足から私は会話する気が全く起きない。帰ってから遅い昼寝をした。起きてからも朗らかに談笑する気になれない。ここで、息子Pが入ってきて、私が彼から渡されていたカードを返して貰わなければいけない、と言った。

奇妙な立場の逆転である。この前まで私もPも、彼から恩恵を受けていた。彼が死んで、そのお金はPと家族の物であり、私は全く関係ない。それでも「返す」という表現が気に入らない。Pから貰ったものではない。だが彼の中では、既に自分の物なのだろう。

そしてPがお金はあるのか、と聞いてきた。Pに心配される立場の自分が笑える。Pには彼のお金が入ってきた分の余裕がある。

 

ああ、もうPとも関係が変わってしまった。連絡を取り続ける気にならないかもしれない。残念かもしれないが、特に悲しい事ではない。彼と私の繋がりは、彼と私、そして飼い犬だけだったというだけの事だ。他の何か執着する気はない。

 

証明しなければいけない事でもない。私が覚えていればいい。

 

私と関係のなかった方の彼の人生。捨ててしまおう。物質的な物でなく、人間的な繋がりに対する期待など。彼の存命中も距離を置いてきた事達だ。

 

思い出は心に留めて、垢の様なしがらみは落とす。

 

丁度明日はバンコクへと帰る日である。