誰だって、明日死なないって確証はない。
おそらくは死なないと思うけど、生きていられる保証なんて、実はどこにもない。
人間が死ぬ理由は、3つあるという。
他殺、自殺、寿命。
ある日突然、ブログにケータイからコメントしてくる人が現れた。
アメブロはケータイからのコメントの書き込みをおそろしく推奨してない。
逆に、ケータイからのコメントを拒否設定するのを推奨してる。
だから、私もアメブロ推奨モデルにすべきなのかもしれないが、自分が書いてることに中途半端に逃げるようなスタンスってどうなのよ? と根底から思うところがあり、全ての人からのコメントを許可してる。
プロキシをいくらでもかませるような時代に、IPさらして来たら誰でも書き込めて、ガラケーだけしかない人には可能性すら与えないなんて、そんなの不公平だと思うし。
で、話は本題に戻る。
その、ガラケーからコメントをしてくる人はコテハンがあったので、成りすまされても本人かどうかの判断は付かなかったにしても、3回目くらいのコメントでいきなり命に関わる病気に突然なったとカミングアウト。
かわいそうだと思ったけど、この関係性で、いったいなにができる?
同情したら治るようならいくらでも同情する。
祈るだけで治るなら、心の底から祈る。
でも、相手のことほぼなにも知らないのに同情して祈るって、効果ありそうに思える?
「アフリカではまだまだ飢餓が蔓延してる国もあるってさー」
「かわいそうだよねー、なんとかならないのかなぁ」
ぶっちゃけ、そんな会話レベルのシロモノじゃないか?
物事には、まずは順序がある。
いや、あって欲しい。
どこの誰でもかもわからない相手にいきなり全神経を傾けて祈りを捧げるより先に、私にはまず身内という存在があって、もう寿命でいつポックリ逝ってもおかしくないという、とてもお世話になり尊敬している93の祖母が居る。
父は脳梗塞で一度倒れてる。次いつまた倒れるかなんてわからないし、倒れたらそれきりであることの可能性のほうが高いと宣言されている。
離れて暮らしているだけに、まずは血縁者を想いたい。
そういう順序がふつうだと考えるのは、はたして私だけなんだろうか。
だから、今なら明かすけど、コメントを返すのには色々な人にアドバイスをもらいまくった。
確かに十人十色な意見を頂戴した。
多かった返答からざっとまとめると、こんな感じ。
・適当に話を合わせておけば?
・からかわれてる/新手の荒らし/かまってちゃん説
・そういう人は、どこにでも書きまくってる可能性が高いと見て間違いなし!
・同情するよー! って書くだけ書いとけば?
・ま、かわいそうだけど、ぶっちゃけ関係なくない?
・風呂でポックリ逝く人、交通事故で死ぬ人より多いって知ってた?
・そもそも明日死なないなんて保証は誰にだってないのでは?
と、そんな感じ。
話を聞いた中に、車の事故でいきなり家族を失った経験のある人がいた。
突然すぎて、遺品の整理は長いことできなかったらしい。
その人のぽろっともらした本音が重かった。
「5秒前にでも知りたかったけどね。ケータイでなにか一言でも伝えられだろうから」
伝えられたとして、なにを伝えたかったのかまでを聞くのはあまりにも無粋な気がした。
兄貴は、前触れなく自殺した。
ホテルで自殺したので、管轄の警察署から電話が来たそうだ。
父は本人確認のため、遺体を確かめに行った。その心境ははかりしれない。
実家へ帰る度、仏壇に話しかけながら誰も食べないご飯を捧げる母の気も、わからないではないが、理解したくはない。
毎週土曜日の午前中は、父と母でどんなに悪天候でも自転車か徒歩で5、6km離れた墓まで、道中で花を買ってそれを手向けに行く。
いかも、花屋でお墓用のいちばん高い花束を毎週購入する。
兄貴の墓だけは、いつ見ても墓地のイメージ写真に使えそうなコンディション。
ふと両親の背中を見たとき、「一気に10歳くらい老け込んだ!」と明らかに感じるものがあった。
冒頭にも書いたが、人が死ぬ理由は、他殺、自殺、寿命のどれかしかない。
もし自分で選べるとしたら、どれにする?
iPhoneからの投稿
おそらくは死なないと思うけど、生きていられる保証なんて、実はどこにもない。
人間が死ぬ理由は、3つあるという。
他殺、自殺、寿命。
ある日突然、ブログにケータイからコメントしてくる人が現れた。
アメブロはケータイからのコメントの書き込みをおそろしく推奨してない。
逆に、ケータイからのコメントを拒否設定するのを推奨してる。
だから、私もアメブロ推奨モデルにすべきなのかもしれないが、自分が書いてることに中途半端に逃げるようなスタンスってどうなのよ? と根底から思うところがあり、全ての人からのコメントを許可してる。
プロキシをいくらでもかませるような時代に、IPさらして来たら誰でも書き込めて、ガラケーだけしかない人には可能性すら与えないなんて、そんなの不公平だと思うし。
で、話は本題に戻る。
その、ガラケーからコメントをしてくる人はコテハンがあったので、成りすまされても本人かどうかの判断は付かなかったにしても、3回目くらいのコメントでいきなり命に関わる病気に突然なったとカミングアウト。
かわいそうだと思ったけど、この関係性で、いったいなにができる?
同情したら治るようならいくらでも同情する。
祈るだけで治るなら、心の底から祈る。
でも、相手のことほぼなにも知らないのに同情して祈るって、効果ありそうに思える?
「アフリカではまだまだ飢餓が蔓延してる国もあるってさー」
「かわいそうだよねー、なんとかならないのかなぁ」
ぶっちゃけ、そんな会話レベルのシロモノじゃないか?
物事には、まずは順序がある。
いや、あって欲しい。
どこの誰でもかもわからない相手にいきなり全神経を傾けて祈りを捧げるより先に、私にはまず身内という存在があって、もう寿命でいつポックリ逝ってもおかしくないという、とてもお世話になり尊敬している93の祖母が居る。
父は脳梗塞で一度倒れてる。次いつまた倒れるかなんてわからないし、倒れたらそれきりであることの可能性のほうが高いと宣言されている。
離れて暮らしているだけに、まずは血縁者を想いたい。
そういう順序がふつうだと考えるのは、はたして私だけなんだろうか。
だから、今なら明かすけど、コメントを返すのには色々な人にアドバイスをもらいまくった。
確かに十人十色な意見を頂戴した。
多かった返答からざっとまとめると、こんな感じ。
・適当に話を合わせておけば?
・からかわれてる/新手の荒らし/かまってちゃん説
・そういう人は、どこにでも書きまくってる可能性が高いと見て間違いなし!
・同情するよー! って書くだけ書いとけば?
・ま、かわいそうだけど、ぶっちゃけ関係なくない?
・風呂でポックリ逝く人、交通事故で死ぬ人より多いって知ってた?
・そもそも明日死なないなんて保証は誰にだってないのでは?
と、そんな感じ。
話を聞いた中に、車の事故でいきなり家族を失った経験のある人がいた。
突然すぎて、遺品の整理は長いことできなかったらしい。
その人のぽろっともらした本音が重かった。
「5秒前にでも知りたかったけどね。ケータイでなにか一言でも伝えられだろうから」
伝えられたとして、なにを伝えたかったのかまでを聞くのはあまりにも無粋な気がした。
兄貴は、前触れなく自殺した。
ホテルで自殺したので、管轄の警察署から電話が来たそうだ。
父は本人確認のため、遺体を確かめに行った。その心境ははかりしれない。
実家へ帰る度、仏壇に話しかけながら誰も食べないご飯を捧げる母の気も、わからないではないが、理解したくはない。
毎週土曜日の午前中は、父と母でどんなに悪天候でも自転車か徒歩で5、6km離れた墓まで、道中で花を買ってそれを手向けに行く。
いかも、花屋でお墓用のいちばん高い花束を毎週購入する。
兄貴の墓だけは、いつ見ても墓地のイメージ写真に使えそうなコンディション。
ふと両親の背中を見たとき、「一気に10歳くらい老け込んだ!」と明らかに感じるものがあった。
冒頭にも書いたが、人が死ぬ理由は、他殺、自殺、寿命のどれかしかない。
もし自分で選べるとしたら、どれにする?
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