アイドルなんかで、週になん冊は本を読みます!
とか言うやつがいるが、本もピンキリだよなぁ。

生涯、あとなん冊読めるか理論値を出すことは簡単だが、遅発性ジスキネジアを発症してるので手の自由がきかなくなる恐れもあるし、そもそも読書とは数じゃない、質だ。

じゃあ、私は質の良い本を読んでるのかと問われると、かなりそこには自信がある。
問題は、読み方にあった。
実家には部屋のサイズには不釣り合いな本棚があった。
産まれたときからあるものを疑問には思わない。

最近、自称してるディスレクシアが、もしかするとただの発達障害のような気がしてならないんだが、まあその問題は置いといて、チビミーは、絵本ってものが理解できなかった。
文字も絵に見えるから、交互に絵をみてるって意味わかんなかったみたい。大人になってから正しい絵本の読み方を知った。
だから、いきなり本棚の海外SFをむんずとつかんで読みだしたので両親はいぶかしんだ。おそらくは果たしてこんな幼い子どもに理解できるのだろうかと思ったんだろうけど、私はなんかえっちなことが書いてあるから懸念されてると思ってた。

小説は頭の中では映画化される。多少読めない漢字があってもご愛嬌。
SFのいいところは、現実とかけはなれているところだ。変な知識のない子どもの頭には浮かべやすい。
私は子どもの頃から現実逃避が趣味だった。

今、思い起こせば、70、80年代の名作を斜め読みしてたんだな、もったいない。
今は、わかっててゆっくり読む。
頭の中で映像を起こしながら、目は確実に文字を追う。
あんまりおもしろい本だと、映像に釘付けになっちゃって、なんページあたりになんと書かれていたのか覚えていられなくなるけど。
だから、いい本ほど、せりふは思い出せる。どこらへんになんと表現されてたかよりよっぽど、誰がなんと言ったか覚えるのは簡単でしょ?

最近、自分で小説を書かなくなった。
書く必要がなくなった。
なんで書いていたのか、わかったから。
なにをそこに見つけようとしていたのか、客観視できるようになった。
そして、私が書きたいことは山ほど他の作家がもっとうまいこと書いてるって思った。
もう、読むだけの人生でもいいな、とふと受け入れた。
だって、書くのって読むのの100倍は大変だもん。

物語をハッピーエンドで終わらすのはもうやめよう。
これからは自分のハッピーエンドを考えよう。



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