次の日も次の日も、のっぺらぼうたちはアホみたいにあの写真の話ばかりしてる状態が続いた。
 僕はうんざりしててホームへ行かなかったので、ライカには会っていない。会いたくなくなってきた。誰かに見られたらと思うと嫌だったし、ライカの存在自体が疎ましくなってきている。
 生きてるライカ、死んでるライカ。どっちもうるさくて僕は悲鳴を上げたいくらいだった。
 そんなとき、なぜか校長室へ呼ばれる。
「ヤナギダくんは今回の騒ぎにいちばん無関心みたいだね」
 校長は指を組み、その上にアゴを乗せて言った。
「僕は……僕は異性にも同性にも興味を持ってないんです」
「そうか。昔のことがあるからかな。先生がヤナギダくんくらいの頃は女の子のことで頭がいっぱいだったもんだよ。君はなんのことでいっぱいだい?」
 僕は、答えられなかった。
 校長室の扉を出て行くとき、不合格の烙印を押された気がしてならなかった。こうなったのもどうなったのも全部全部生きてるライカのせいだ。
 そうやってライカに夢中なこと、本当は自分でも気付いてた。

 ライカに会いたいけど会いたくなかった。どっちなんだかわからない。すごい嫌いなのに、すごい惹かれている。好きとかっていうのじゃなさそうだけど、頭の中がライカでいっぱいだ。
 一週間ホームへ行かなかったあと、意を決して僕は放課後にホームへ行った。ほっとしたのか残念だったのか、ライカの姿はなかった。
 僕はポイントをためにかかった。走って走って走り込んだ。マンホール。これだけが僕を僕らしくあっていさせてくれる気がした。
 ライカが僕を忘れてくれたのか僕がライカを忘れたのか、それから数日間、ホームにライカは現れず、僕は千点を汗だくになりながらためることができた。
 やった、千点だと足を止めた瞬間、カメラのシャッター音が耳に聞こえた。
 ライカが現れる。
「おめでとう。私もポイントたまったの。行きましょう」
 彼女はそう言って僕の手をとった。僕はこのあと、どうなるかすでに知っていた気がする。ライカがなにかを考えていたか。そしてそれに僕が従うことも。
二人でどこへも続かない階段を登った。一段一段、足取りが重くなる。結果を知ってるから。
数えたことがなかったけれど、一番上まで十三段だった。
くるりと空に背を向け、ライカは僕に向き直る。
「私のこと、好き?」
返事に困ることを聞かれた。
「たぶん」
 なさけない返事をした。
「お姉さんと同じくらい?」
 彼女は片手を伸ばしてきた。僕は彼女の背後のことを思い、その手をとる。
「君がいるから姉のことを思い出す」
「じゃあ」ぐいっと彼女は僕のことを引っぱった。「私がいなければお姉さんのこと思い出さないわよ」
「もう無理だな。君が現れなかったここ数日だって君のこと考えてたんだし」
 ポイントがたまったと言ったライカのことだ、なにもしてもおかしくない。僕は真面目に対応するようにした。握った手に力を込める。
「私のこと考えてた? お姉さんのこと──自分のことじゃなくて?」
「──」
 わからない。わからないけど図星だ。心が騒ぎ出したのがその証拠だ。
「私はたまったポイントで存在を消す。手伝ってくれるよね?」
 彼女は意味あり気に背後の宙をちらりと見て言った。
「協力しかねる」
「本当? よく考えて。なぜ私はライカという名前なの? 突然あなたの前に現れたの? こんな生意気で言うことを聞かないキャラなの?」
 じっと見つめてる彼女の顔が歪む。誰の顔でもなくなっていって、そして誰の顔でもありえて、また知ってる卵形の輪郭のライカに戻った。けど、それは姉の顔だった。僕は六年のうちにすっかり姉の顔を忘れていたらしい。
「──お姉ちゃん」
僕はとっさに近くに叔父がいないかをまず心配していた。おかしな話だった。今は十六歳で叔父は刑務所にはいっているというのに、姉の顔をみたとたんちびりそうになって叔父の顔を探してしまうなんて。とても恥ずかしくてやましい気持ちがよみがえってきた。
「私はあなたが作り上げたライカよ。私はこんなじゃなかったんだから」
 今にもライカは手を振り解いて飛び降りてしまいそうだった。でもそれが彼女の望むことだということも知っていた。苦しみが長引くより確実な死を迅速に。 それに、どうせ彼女は死んでしまうのだ。ものすごく苦しんだあげくに。早く死なせてあげたほうが楽じゃないか? 僕は迷う。まさしく僕たちの人生の崖っぷ ちをなぞっているこの状況。
 ライカは、姉は、さらに後ろへと一歩後ずさった。もうあとがない。たとえこの手が血のつながらない人でも今知り合ったばかりの人でも、道徳的に考えて、離せるものではないだろう。でも、ライカは離せと言う。
「手を離すのはあなたの役目。あなたが手を離さないからずっと私に悩まされてるのよ。わからないの?」
「わからないよ。こんな時、誰だって助けなくちゃいけないんだ」
「そうやってどこまでもやさしい子だった、あんたってやつは。諦めも知らなくて」
 もう目の前のライカは生前のライカにしか思えなくて、僕は泣き出していた。
「お姉ちゃん! 一緒にいてよ、僕を一人にしないで」
 僕は、姉が死んだときにそのなきがらへかけた言葉を一字一句ちがわずに言った。
「バカね、私はもう死んでるんだってば」
 ぐいっとライカが腕を引っぱったので、バランスを崩した僕たちは真っ逆さまに地面へと叩きつけられたようだったが、あまりにも一瞬のことでよくわからなかった。ただ身体がすごく痛くて、姉は覚えているかぎりの餓死寸前でげっそりした顔を僕に向けて笑ってた。
「ありがとう」
 死にそうなのに、彼女は僕に礼なんて言った。
「なに言ってるの?」
「許してる。忘れないで。私は全て許してる」
 彼女が言い終えると、息を引き取ったのがわかった。僕はその目を閉じてあげる。
 ライカの胸元のデジカメを首からそっととると、世界がチーズのように溶けていくのを感じた。

 ふと気付くと病院の一室だったけれども、決定的に今までとなにかがちがった。
 まず目に入ったのはライカのデジカメだった。僕は電源を入れて、中に入っているなん千枚もあろうかというマンホールの写真に圧倒される。でも、現実を受 け入れると、色々と世界がクリアになっていく。まず、それは僕のデジカメだった。そして、僕は学校なんて通ってなかった。学校だと思い込んでいたのはデイ ケアの施設だった。僕は自分の都合のいいように事実をねじ曲げていたんだ。母と同じように僕だってライカの死を受け入れられなかったのだ。そう、今の今ま で。
「ライト?」
 母さんの声がした。カーテン腰に正気な目をした母さんが入ってくる。
 身体が痛いのを今、思い出した。僕は本当にあの階段から落ちたらしい。それを知ると、許してると言った姉の言葉を思い出せた。
 母さんは泣いた。僕の知っているかぎり、ライカが死んだとき以来初めて。
 そして僕は動かすと痛む腕で、母の肩を抱いた。こんなに母が華奢だと知ったのははじめてだった。