もうなん年も前の話。
とある日、風呂上がりにいきなり天井が回転し出したと思ったら、立っていられなくなった。
なんだかわからない。
死んじゃいそうな緊迫感はなく、ただ体が言うことを聞かない。
目眩にしては強烈すぎ、自分では対処しきれないと判断し、救急車を呼ぶことにした。

マンションのエントランスで救急車を待つ間、おかしさは頭の中まで浸食していってて、目の前を通るトラックに牽かれてる自分を想像したりしてる。
救急車の狭いベッドの上で脈を図られたり瞳孔を調べられたり、同時に質問責めにされる。
意外に口から出る言葉は冷静で、ちゃんと質問に答えてる自分がいた。
容態が把握され、受け入れ先の病院が決まって動き出した救急車の中で、こともあろうか私は数を数え始めてた。
平常時の脈と同じくらいのリズムで、1~10、そして、なぜかわからないが20の段は英語で。そしてその後はそれを交互に。
私の言語力は、母国語の日本語湘南弁すらあやしいので、英語なんてとんでもない。
日常会話どころか挨拶レベルでテンパる。

ただ、覚えてる。
おかしい人を見るときの目つきで見られていたこと。
そしてなぜだか88まで数えたら、死ぬんだと完璧に思い込んでた。
88がすんだ。
待っても死はこない。
変だと思い、また1から数え直す。
顔はたぶんへらへら笑ってたと思う。
こんな突然に死ぬのかと、なかば楽しんでて。
そして走馬灯にはかなり期待してた。
自分のダイジェストはどこがスライスされるかめちゃめちゃ気になる。

無事に受け入れ先の病院に着き、私はもう数えるのをやめてた。
あ、死はまだだなと、なん度かカウントをくりかえし、見たいと思う走馬灯なんてちっとも脳裏をよぎってくれなかったので、諦めがついた。

ショックだった、ある意味。
まだ死なないのか。
まだ生きていないとならないのか。
自殺未遂を図ったわけではなく本当に突発的だったのに、残念でならなかった。

もう死ぬっていうとき、数を日本語と英語とで交互に数えてる私って、いったいなんのコンプレックス抱えてるの?
自分で思い出しても笑える話だ。