私とメール交換するとこんなの来ます的サンプル。



オルタード・カーボン

この本を始めて読んだとき。

翻訳者は、私と同じ句読点の付け方をしていたり、括り方がデジャヴじゃないかと思わせてくれたりと、文体にすごい衝撃を受けた。
なん度も読み返してしまい、今はもうその感覚がわからないけど。

感性っていうのが文章にも絶対ある。
主張することが間違ってない文でも、書かれようによっては受け入れ難い。
最近、書きようによっては救われなくもない文章が多く目に付く。
もったいない。

ブログってなんなんだろうね。
うまく使いこなせなくて振り回されてる人が多いかも。
やめておけばいいのに自己アピールが激しいことに気付いてない自傷系。
アピールすればするほど深い傷負っちゃって。
さらっとできないなら最初からやらなければいいのに。
しょせん二次的になに求めてるのかな。

文章がうまく書けないなら書くな。
少なくとも黙ってるだけの努力をすればいい。
道端でいきなり喚き出さないのと同じ。
場をわきまえたらいい。
道端で騒いだらヤバいってことは自覚あるくせに、ブログはなに書いてもいいと思い込んでるのはおかしくないかな。

芸術目指すんだとしたら、芸術家は死んでから評価されることが多いよ、と書いておこう。もちろん評価されないままのほうが圧倒的に多いけど。



私は文章だと辛口批判になる。
しゃべると至ってふつうの当たり障りのない感じなんだがな。