異邦人。 | ロックな日々(仮)

異邦人。

最近なんとなく読み返してしまった本。「異邦人」(アルベール・カミュ)

高校卒業した春休みに一気に読んで、その後大学一年当時のフランス語の先生が勧めていたので再度読んだ。

ラストのシーンがものすごく印象深かった。

「文章が短文の連続だからフランス語版も簡単に読めるよ」

と先生がいっていたので、原文にも挑戦しようとしたが、やはりやめた。原書を探すのがめんどくさかったから。



今日、ママンが死んだ。もしかすると昨日だったかもしれない

という超有名な冒頭から始まるこの短い小説。
太陽のせい」という主人公の台詞も名(迷)言ですね。

一人の不条理な青年が犯した不条理な殺人、不条理な末路・・・。
冷静な老人司祭をも泣かせるほど激しい剣幕と気迫に満ちた、最後の意味深な罵詈雑言の嵐。あっぱれ。



君はまさに自信満々の様子だ。そうではないか。

しかし、その信念のどれをとっても、女の髪の毛一本の重さにも値しない。君は死人のような生き方をしているから、自分が生きているということにさえ、自信がない。

私はといえば、両手は空っぽのようだ。

しかし、私は自信を持っている。自分について。

すべてについて、君より強く、また、私の人生について、来るべきあの死について。

そうだ、私にはこれだけしかない。

しかし、少なくとも、この真理が私を捕えていると同じだけ、私はこの真理をしっかり捕えている。

私はかつて正しかったし、今もなお正しい。いつも、私は正しいのだ。

私はこのようなことはしなかったが、別のことはした。

そして、その後は?

私はまるで、あの瞬間、自分の正当さを証明されるあの夜明けを、ずうっと待ち続けていたようだった。

何ものも何ものも重要ではなかった。そのわけを私は知っている。

これまであの虚妄の人生の営みの間じゅう、私の未来の底から、まだやってこない年月を通じて、一つの暗い息吹が私の方へ立ち上ってくる。

その暗い息吹がその道すじにおいて、私の生きる日々ほどには現実的とはいえない年月のうちに、私に差し出されるすべてのものを、等しなみにするのだ。

他人の死、母の愛――そんなものが何だろう。

いわゆる神、ひとびとの選びとる生活、ひとびとの選ぶ宿命――そんなものに何の意味があろう。

ただ一つの宿命がこの私自身を選び、そして、君のように、私の兄弟といわれる、無数の特権あるひとびとを、私とともに、選ばなければならないのだから。

君はわかっているのか、いったい君はわかっているのか?

誰でもが特権を持っているのだ。特権者しか、いはしないのだ。

他のひとたちもまた、いつか処刑されるだろう。君もまた処刑されるだろう。

人殺しとして告発され、その男が、母の埋葬に際して涙を流さなかったために処刑されたとしても、それは何の意味があろう?

サラマノのイヌには、その女房と同じ値打ちがあるのだ。

機械人形みたいな小柄な女も、マソンが結婚したパリ女と等しく、また、私と結婚したかったマリイと等しく、罪人なのだ。

セレストはレエモンより優れてはいるが、そのセレストと等しく、レエモンが私の仲間であろうと、それが何だろう?

マリイが今日もう一人のムルソーに接吻を与えたとしても、それが何だろう?

この死刑囚め、君はいったい分かっているのか。

私の未来の底から・・・・・・・

(『異邦人』カミュ、窪田啓作訳)