音楽と薬
あまりにもさっきの文章が音楽らしい話題から逸れたので、らしき考察を。
小室サウンド(巷でめっきり聴かなくなったねぇ)には、メジャートランキライザーらしさを強く感じる。
私がもともと聴かないトランス的要素なんだと思うけど、激しく強制ダウン的な、それでもかそれでもか!っぽい繰り返しのマンネリ感。あれが好きな人、わりと多いよねー。安心するのはわかるんだけど。
小室サウンド求めるのって、安心感ゆえの時代背景だったの?
(確かに聞き込んでない音楽、ジャンルは一緒くたに聴こえるけど、にしたって!)
パラパラは、抗うつ剤的音楽。SSRIかな、抗うつ剤の中でも。
見事に感情を消す。決められた動作で安心感を得られる。渋谷に行くといつも思う、この人たち、サラリーマンになる予行練習でもしてんじゃないのかと。ある意味感心する。
日本人的憧れが入ってるのかなと。こんだけみんなに合わせて自分も動いてます、ちゃんと完璧にやってます。でも、汗の一つも流してません的アピール。
「どう? 自分、実はスマートじゃありませんか」っぽい心の隅のニヤリを感じるのは私だけでしょうね。
マイナートランキライザーは一発屋。その場限りって言葉遊びだけかもしれないけど。
バカにしてないよ、これはとても大切なのよ。各々のプレイリストを埋めるのはこういう曲たちだもの。
唯一、覚醒剤を感じるのは、Linkin Parkのサウンドに。
なんでかって、なんでだろ、シャブ中の知り合いの知り合いさんと重なるから、かな。
彼が聴いていたからではない。彼とは音楽の話もしたことすらなかった。
一寸の乱れもない完璧な打ち込みと一見それに相容れそうもない馴染みやすいメロディの融合、まったくしてふざけてないスタンス。それってたぶん、芸術枠ではなく職人芸の域で。
・・・日本人が欲してやまない感じなんだよね、まあ、パラパラ的抗うつ剤が「ないとやってけない」に対して、こっちは理想。
私個人は全くしてLinkin Parkを聴いてて覚醒効果が得られるわけじゃないけど、シャブ中さんがこんなだった。頑張って頑張って自己の理想のために違法とわかってる薬をからだを壊しててもやってた。
ってことは、私はLinkin Parkのサウンドの随所に完璧感を抱いているのかもしれないな。
音楽っていいね、目に見えないから感覚的なこと書ける。
そして、ふだん洋楽しか聴かないので、音楽が文章として伝わることはほとんどないから、こいうお遊び感覚が生じるんだろうなぁ。