東京45年【84-3】宇奈月温泉 | 東京45年

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東京45年【84-3】宇奈月温泉

 

 

 

1986年 冬、25歳、宇奈月温泉

 

 

『ごめん下さい』

 

 

『おはようございます。

 

ようこそいらっしゃいました。

 

佐藤様でいらっしゃいますね』

 

 

『はい、佐藤です。

 

ご無理を申し上げまして申し訳ございません』

 

 

『あら、お連れ様は山帰りですか?』

 

 

『そうなんです。

 

2日も早く下りて来たものですからご無理を申し上げました』

 

 

『そうだったんですね。

 

それじゃあ、さぞ優秀な山屋さんなんですね』

 

 

『島谷と申します。申し訳ございません』

 

 

『あら、あの島谷さんですか?

 

あの。。。奥鐘で。。。

 

その後、お一人で登られた方ですか?』

 

 

『はい、多分その島谷です。

 

その節はご迷惑をお掛けしました』

 

 

『これはこれは、お初にお目通り致します。

 

当館女将の吉沢と申します。

 

あの有名な方がお出でだと

 

知っていたら全員でお迎え申し上げましたのに』

 

 

『いいえ、ご迷惑をお掛けしただけです。

 

本当にお騒がせして申し訳ありませんでした』

 

と俺は深々と頭を下げた。

 

 

『いいえ、黒部を好いていらっしゃる方々は大勢見えられます。

 

私どもも黒部に支えられて生業をさせて頂いておりますので、

 

どうぞ頭をお上げ下さい。

 

どうぞ、お履き物をお脱ぎになられて』

 

 

と、促されて俺達は小上がりを上がった。

 

 

 

『今日は偶然にキャンセルが一組ありまして、

 

広いお部屋をご用意させて頂きました』

 

 

『そうですか。

 

それは正月早々にありがとうございました』

 

 

ピカピカの滑る廊下を奥の部屋に通された。

 

入口を入った途端に悠々と流れる黒部川と眩しい雪景色がパッと広がった。

 

 

『凄い景色だわ。綺麗ね』

 

 

『そうだな。太古の昔から変わらない黒部だ。

 

竹中さんと来たかったな』

 

 

『あら、私じゃダメだって事なの?』

 

 

『いや、そうじゃなくて。。。』

 

 

『竹中さんとは、あのヒマラヤで。。。』と女将が言った。

 

 

『ご存じなんですか?』と俺は空かさず聞いた。

 

 

『ええ、ここには良くお出で頂きましたので、

 

お知り合いですか?』と女将。

 

 

『はい、大学の先輩で一緒に山を登っていました。

 

そして、こっちはその竹中さんの元彼女です。

 

今は僕の彼女ですが』

 

 

『そうなんですか。

 

何度もビックリさせて貰い、

 

なんと申し上げたら良いのか。。。』

 

 

『ビックリさせてごめんなさい、女将さん。

 

でもハッキリ言って下さい。

 

言って貰わないと気を回して良いお正月が過ごせません』

 

 

『では、お茶を入れながら、お話させて頂いても宜しいでしょうか?』と女将。

 

 

『是非、お願いします』と玲。

 

『やっぱり司は光を集めるわね』と続けた。

 

 

お茶を飲みながら竹中さんの話を聞いた。

 

 

『竹中さんが初めていらっしゃったのは、

 

もう10年程前になりますか。

 

新緑の5月でした。

 

お二人で居らっしゃって、泊まるところが無いからといきなり来られて。

 

それから4,5度お出でになられました。

 

私共と打ち解けられた頃に、

 

彼女がいるが、止めようと思うが女将はどう思うと言われて困りました』

 

 

『では、一年に一回は来ていたって事ですか?』

 

 

『そうですね。そうだったと思います。

 

春と秋に来られていました。

 

この様な寒い季節には来られなかったと思います』

 

 

『で、女将はどう答えたんですか?』

 

 

『それが、その。。。

 

山に登りたい気持ちでその彼女に接してみたらどうですか?

 

と言いました。

 

それは出来ないと言われて、それっきりでした。

 

それからお見えにならずにヒマラヤで。。。』

 

 

『そうでしたか。お話して頂いてありがとうございます』

 

 

『僕達は3ヶ月程前からお付き合いをしていて、竹中さんを大切に思っています。

 

ですから竹中さんのご両親にもご挨拶伺いました。

 

ご了解も頂きました。

 

こんな事を女将にお話しする事ではないかも知れませんが、

 

どうかお聞きください。

 

竹中さんが亡くなられて彼女も僕も苦しみました。

 

そして5年経ってやっと抜け出せました。

 

僕は竹中さんが好きでした。

 

その先輩が好きだった方とお付き合いしています。

 

出会えたのは竹中さんが居たからなので、竹中さんのお陰だと思っています。

 

しかし、これからは僕達二人で幸せになろうと思っています。

 

ですから、竹中さん所縁の宿に来られて本当に良かったと思っています。

 

あと、女将さん、思い出した事があったら何でも聞かせて下さい。

 

3泊になりますので宜しくお願いします』と俺は言った。

 

 

『真っ直ぐな方なのですね。

 

佐藤様は竹中さんからお聞きしていた方とはイメージが合わない様な気がします。

 

いいえ、悪い意味ではなくて、良い意味ですので』

 

 

『どんな風にですか?』と玲。

 

 

『竹中さんが言われていたのは、

 

もっと影があって、

 

引っ込み思案で、

 

ハッキリ物を言わない方だと。

 

ただ、美人だとは言われてました。

 

しかし、今の佐藤さんは、

 

光まばゆく、

 

ハッキリ物を言われて、

 

昨日のお電話でも

 

「大切な人と行きますから泊まる所がないから、布団部屋でも構いませんと」、

 

とても引っ込み思案の方とは思えません。

 

それに想像していた方と違って、壮麗の美人です』

 

 

『あら、女将さん。嬉しいです。

 

司、壮麗ですって。うふふふ』と玲。

 

 

『そこかよ。玲』と俺。

 

 

『そうですよね。

 

3か月前に出会った頃は僕もそう感じていました。

 

こんな美人と僕は釣り合うのか心配です』

 

 

『司、そうなの?そんな事考えていたの?』

 

 

『いいえ、お似合いですよ。

 

こんな事を言うと不躾ですが、

 

竹中さんと佐藤さんでは佐藤さんが死んでしまいます。

 

竹中さんには申し訳ないですが、

 

あの方は内に籠っておられた方ですが、

 

島谷さんはどこにでも顔を出す様な、

 

そして人を引き付ける物をお持ちです。

 

佐藤さんは島谷さんに引き付けられて

 

輝いていらっしゃる様にお見受け致します』

 

 

『司、私、女将さんが好きになったわ』

 

 

『お前は褒められると直ぐに好きになる。

 

そうじゃなくて、

 

女将さんが思い切った事を言ってくれた事にまずは感謝すべきだよ』

 

 

『おや、失礼ですが、島谷さんはおいくつですか?』

 

 

『僕は25才で、玲は29才です。そして竹中さんが生きていたら33才ですね』

 

 

『そうですか。25才ですか。

 

お考えはしっかりしていますね。

 

失礼ですが、佐藤さんが年下に見えますね』

 

 

『そうなんです。一緒に居ると私が年下だと感じちゃうんですよ』

 

 

『それは良い事ですね。

 

また、思い出した事があれば遠慮なくお話に伺います。

 

それと、島谷さん、あとで黒部の魅力をお聞かせ頂きますか?

 

黒部を好いて頂いている方々には出来る限りお聞きしているものですから』

 

 

『良いですよ。考えておきます。

 

ところで女将さん。混浴はありますか?』

 

 

『あら、いきなり混浴ですか?

 

今の時間ならどなたも入っていないと思いますが、

 

入られたら鍵を閉めて頂いて結構です。

 

そこのドアに掃除中と掛けさせて頂きますので、

 

そこにお入り下さい』

 

 

『ありがとうございます。

 

玲、良かったな。お前の目的が一つ達成されるな』

 

 

『はい、ありがとうございます』

 

 

『これはこれは、佐藤様のご趣味でしたか?』

 

 

『あら、おかみさん、変態扱いしないで下さいね。

 

あはははは』と玲は笑った。

 

 

弾ける様な光が眩かった。

 

 

『女将さん、それともう一つ。

 

彼女は東京からの夜行で疲れていると思いますので、

 

早いですが、布団で休ませても良いでしょうか?』

 

 

『それならお風呂に行かれている間にお敷き致します』

 

 

『ありがとうございます』

 

 

『それでは、3日間ごゆっくりお楽しみください。

 

私も楽しませて頂きますので』と言って吉澤女将は出て行った。