東京45年【83-1】冬、魚津 | 東京45年

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東京45年【83-1】冬、魚津

 

 

 

1985年 冬、25才

 

 

馬場島から魚津駅に着いて、玲に電話をした。

 

 

『あら、早かったのね。今日は大晦日よ』と玲。

 

 

『玲、愛している』と俺。

 

 

『どうしたの?いきなり』

 

 

『良いだろう。それが言いたかったんだ』

 

 

『で、どうするの?』

 

 

『早めに来られないかな?

 

ダメならダメで良いんだけど』

 

 

『2日間も、どうしてるの?』

 

 

『大丈夫だよ。テントとコンロがあるからどっかで寝るから』

 

 

『ちょっと待ってて。時刻表を見てみるから1時間後に電話を貰えるかな』

 

 

『分かった』

 

 

『愛しているわ』と電話が切れた。

 

 

どうしようと思いながら駅前でポツンとしていた。

 

 

と、佐伯さんが居たと思い、田口さんに電話をして電話番号を聞いた。

 

 

 

 

 

『島谷と申します』

 

 

『おお、どうしたんだ。いきなり』

 

 

『その、言いにくいんですが、今魚津駅にいて、暇なので伺っても良いですか?』

 

 

『何も用事は無いから、良いけど。。。

 

じゃあ、そこまで車で迎えに行くから15分くらい駅前で待っていてくれ』

 

 

 

 

 

『どうも、ご無沙汰しています。

 

急にお電話して済みません。』と

 

俺は佐伯さんの車に乗り込んだ。

 

 

『どうしたんだ?』

 

 

『合宿の帰りなんです。

 

で、ちょっと時間潰しがしたくて電話をした次第です』

 

 

『どこに行ったんだ』

 

 

『北方稜線から剱です。楽しかったです』

 

 

『今年は雪が少ないからスイスイ行った感じかな?』

 

 

『そうですね。

 

一昨日は一日風が吹いていましたけど、昨日は良かったですね。

 

ただ、今日からまた吹雪いていますね』

 

 

『そうなのか。変だな』

 

 

『何が変なんですか?』

 

 

『一日置きに吹雪くのは大雪のシーズンにある特徴なんだがな。。。。。』

 

 

『そう言えば、雪質が変でしたね』

 

 

『どんな風に?』

 

 

『いつもと違って、重かったです。

 

気温が低くても重いって感じでした』

 

 

『そうなのか?それは隠し二玉だな』

 

 

『隠しって何ですか?』

 

 

『気圧の谷の中に実はもう一つあって、

 

メインの低気圧を押し上げているだ』

 

 

『高度が低い低気圧の上に低気圧があるって事ですか?』

 

 

『そうだ、それが通過した後に荒れるんだ。

 

より低気圧を呼び込む環境が整っているって事だな』

 

 

『じゃあ、今日からが本番って言う事ですか?』

 

 

『いや、4日後くらいに来るんだ』

 

 

『それが合っているとしたら、4日か5日からって事ですか?』

 

 

『今日の吹雪で積雪が増えて、明日から固まる。

 

そして3日から降ると4日から雪崩れ始めて1週間は続くんだ』

 

 

『4日も吹雪くんですか?』

 

 

『いや、小休止になるから質が悪いんだ』

 

 

『3日に吹雪いて、4日に小休止で天気は下界は曇り模様だが、上は吹雪いている。

 

5日から猛烈に吹雪く』

 

 

『今年は5日が日曜日ですから、その日が下山日って多いんじゃないですか?』

 

 

『3日から吹雪くと停滞する。

 

4日に動いて降りてくれば良いが、吹雪いているからまともに動けない。

 

そうすると5日に無理をする。

 

となると閉ざされて疲労凍死の危険性が高まるな』

 

 

『動くなら今日から動いて3日までに下山すれば良いんだが』

 

 

『でも、サラリーマンは27日に仕事納めで、

 

27日の夜行に乗って、28日に入山ですから2日が核心部として

 

3日から吹雪くと核心部を通り過ぎた安心感から

 

気軽に動くと危険ですね』

 

 

『そうだな。実力が拮抗してれば良いんだが。。。』

 

 

『今回はそれでした。

 

それがあったので停滞せざるを得なかったです』

 

 

『さあ、着いたぞ。ラウンド剱の話を聞かせてくれよな』

 

 

佐伯さんの家は木造造りで大きな家だった。

 

 

以前渡辺さんに連れて来て貰った事があった。

 

 

『おじゃまします』

 

 

『ここに座ってくれ』

 

 

『はい、失礼します』

 

 

『で、どうだったんだ?』

 

 

『R剱ですよね』

 

 

『ああ、そうだ。渡辺さんも大野さんもぶっ飛んでいたよ。

 

なべさんなんか、自分の登山に自信が持てなくなったって言ってたくらいだからな』

 

 

『えーっと、まず食料を極端に減らしましたから、いつもお腹が空いていました』

 

 

『そうじゃなくて、登攀自身を話してくれ』

 

 

『そうですか。

 

じゃあ、一つ目の蝶型岸壁ですが、雪崩が落ちるまで待って夕方から動きました。

 

そこは天気も良かったので数時間で抜けました。

 

雪は落ちていたので雪庇も無かったです』

 

 

『数時間って言うのはどのくらいだ?』

 

 

『尾根上で落ちるのを待っていたので5時間くらいですかね。

 

上に着いたのが23時くらいでしたから』

 

 

『じゃあ、ザイルは使ったんだな?』

 

 

『はい、使いました。1ピッチですが。

 

ただ、8mmを2本繋げて90mにして登りました』

 

 

『8mm1本で登ったのか?』

 

 

『はい、そうです』

 

 

『それからどうした?』

 

 

『鹿島槍山頂から赤沢岳西尾根下降まで一気に行きました。

 

黒四ダムに着いたのは6時頃です。

 

そこからすぐにオオタテガビン中央壁を4時間くらいで登って、

 

黒部別山主峰手前でビバークをしました。

 

着いたのは13時頃です。

 

天気が崩れてきたので、そこで停滞2日間でした。』

 

 

『それから八峰か?』

 

 

『はい、深夜1時頃に出て八峰の頭に10時ごろです。

 

剱山頂を空荷で往復して、そこから一気に池の平小屋です。

 

到着は14時頃。

 

中に入ってそこで寝ました。

 

天気が下り坂だったのでそこで2日間停滞しました。

 

ここからが時間が掛かりました。

 

明るくなってから、6時頃に出発して、稜線上を仙人山に向かい、

 

そこからラッセル続きで、

 

更にラッセル込みの藪を漕いだり、

 

足が木の根に挟まったりしながら、

 

1765mピークを東に向かい、

 

志合谷とオリオ谷の間の尾根を数回懸垂下降を含めて降りて、

 

水平歩道に出て、

 

そこから奥鐘山対岸から500mくらい懸垂下降を繰り返して、

 

下の廊下川面に、そこから泳いで黒部川対岸に渡りました。

 

そこに着いたのは翌日の14時頃でした。

 

奥鐘山西壁は2日間の雪が上部に溜まっていたので、

 

温泉を掘って、遊びながら3日間停滞して、

 

6時出発。順調に進んで、途中2日間のビバークの後完登して、

 

奥鐘山ピークを越えたところでビバーク、

 

次の日に唐松岳、唐松山荘に荷物を置いて、

 

鹿島槍ヶ岳往復、唐松山荘19時着、

 

そこに潜り込んで、翌日4時出発、

 

そこから白馬岳、栂池のスキー場のゲレンデを降りていたら、

 

登山靴で歩くとボコボコ穴が開くので、

 

スキー場の人に怒られました。

 

そして、信濃大町駅へ。こんな感じです』

 

 

 

『呆れて物が言えないな。

 

なべさんは登山とは自分の中にある蠢くものを自己解消する事にあると公言していたのに、

 

その自信満々だった登山哲学をぶち破られたと言って、

 

悩んでいると言っていた。

 

で、やり終わってどんな感じだった?』