東京45年【79-2】剱岳 | 東京45年

東京45年

好きな事、好きな人

東京45年【79-2】剱岳

 

 

 

1985年 冬、25才、剱

 

 

一つ上の先輩は、『俺は未だなのに抜かれちゃったな』と言った。その人は菅井さんといった。

 

 

『菅井先輩、そう言えば彼女は出来たんですか?』と俺が聞いた。

 

 

『いや、未だだ。そう言えばお前は佐藤さんと付き合っているらしいじゃないか』と菅井先輩。

 

 

『ああ、実はそうなんです。3ヶ月程前からです』と俺。

 

 

『俺はあの茂子ちゃんと結婚すると思っていたのにな』と菅井先輩。

 

 

『俺もそう思っていましたよ』と原。

 

 

茂子を知る後輩達もそうですよと相槌を打った。

 

 

『俺自身もそう思っていたんだが、思いとは裏腹になったんだ』と俺。続けて『でも、今、玲が居るからな』と。

 

 

『しかし、あんな美人を。。。』と原。

 

 

『良いよ。原、竹中さんの事だろう?』と俺。

 

 

『すまん。気にしているかと思って。。。』と原。

 

 

『俺は竹中さんが好きだった。だけど、今は良い思い出だよ。それに竹中さんのご両親にも二人で挨拶に行ったし、玲のご両親にも了解を貰ったんだよ』と俺。

 

 

『三か月でそこまでやったのか。相変わらずやる事は早いな』と原。

 

 

『みんなにも言っておく。この山行で女の話をする時には何の遠慮もしなくていいぞ。竹中さんの事を知っている奴は現役ではいないと思うが、俺が尊敬する大先輩だ。その竹中さんがエベレストで亡くなって、4年後にその竹中さんが付き合っていた佐藤玲子さんと俺は今付き合っている。これが山男の運命かも知れないが、女は良い物だぞ』と俺は言った。

 

 

俺は、8年生で、海外の山に行っていなければ、殆どの合宿に参加していたから見知らぬ下級生はいなかった。

 

『そろそろ二本目行きましょう』とリーダーの佐々木が言った。

 

 

みんな、オーと掛け声を掛けて立ち上がった。これも早稲田山岳部の流儀である。

 

 

雪が少ないのでどんどん進む。尾根沿いを高度を上げて行く。雪が膝まで潜り、そのうち腰までとなる。

 

 

雪は日本海側から吹き付ける為、湿気を帯びて重い。それでも先頭を交代しながら快適なペースでどんどん登る。

 

 

毛勝山は2,400m強だから森林限界以下である。しかし山頂付近は樹木が殆ど無い。冬の風は怖い。

 

 

今は風はそれほど強く無いが、これからどう変化するか分からない。

 

 

風を避けられそうな窪地を見付けて、今日はここで幕を張るとリーダーが言った。

 

 

まだ、14時半だったが、良い判断だと思った。

 

 

みんなで協力してテントを張る。6人用テント2張りと5人用テント1張りだ。16人は大パーティーだ。だから山の中で同じ場所に大きなテントを張れるだけの幕場を探すのも一苦労する。だが、今日は良い幕場だ。多分、この先は同じ場所にテントを張れる場所は無いだろう。

 

 

久しぶりの大人数の山行に俺は心が躍った。

 

 

チンチン電車の中で買った蒲鉾を各テントに配る。

 

 

一人二個ずつだったが、大ぶりの蒲鉾だった。富山湾の海の幸がたっぷり入った蒲鉾は美味かった。

 

 

山の中では何でも上手く感じるが、これは格別だった。

 

 

同じテントに、主将であり、この山行のリーダーの佐々木と二年生のサブリーダー桜井、菅井先輩、原、俺の五人だった。同部屋みたいなものだ。

 

 

佐々木は三年生。この合宿を最後にリーダーを次にバトンタッチする。就職、進学に備える為だった。

 

 

2月からは現二年生がリーダーとなるので、今回の山行のサブリーダーは次期主将の桜井だった。

 

 

就寝は19時半、起床2時半とリーダーから連絡が飛ぶ。今の季節は日の出が6時40分頃だ。

 

 

ヘッドランプの明りを頼りに5時半に出発して1本目の途中で闇が薄らいで風景が見え始める時間帯だ。

 

 

ここの雪面の傾斜であれば、ヘッドランプの明りで十分だろう。

 

 

その夜は、いろんな過去の山行や女の話、昔話に花が咲いた。

 

 

その夜は、晴れて星が綺麗だった。

 

 

翌朝、起床して用を足しに表に出た。深夜2時半だ。

 

 

満天の星空とそよ風程度の風だが、冷えるだけ冷えていた。おおよそ氷点下15℃程度か。

 

 

朝飯を食べて外の雪を溶かして水筒の水を作る。それが終わればテントを撤収して出発だ。

 

 

雪面はクラストしていて、危険と判断してアイゼンを装着して出発する。

 

 

ところどころ吹き溜まりに足を取られるが、雪面が固く締まっているので快適に登る。

 

 

夏の登山道より快適だ。夏道はどこにあるのか雪の下だから、歩き易い雪面を登る。

 

 

ヘッドランプの明りを頼りにしていたが、歩き始めて30分ほどで空が白んできた。

 

 

そこから更にピッチが上がる。冷たいそよ風が顔に当たり痛い。

 

 

それでもピッチを上げる。1本目が終わった頃には朝焼けになった。

 

 

朝焼けは荒天の印だ。リーダーとサブリーダーと話をする。

 

 

みんなも聞き耳を立てている。明日は天気が崩れる。それは全員が分かっている事だった。

 

 

今日中に核心部手前まで無理をして進むか、容易に引き返せる場所までとするかを議論した。

 

 

結果は稜線上に雪洞が掘れるだけの雪量があれば行けるだけ行く事とした。