東京45年【51-1】浦和
1985年初冬の頃11月半ば、25才、墓参り
マンションに近づいたところで玲は俺に聞いた。
『明日は土曜日よ。何か用事はあるの?』と玲が聞いた。
『約束を果たそうか?』と俺は聞き返した。
『約束って?』
『竹中さんの墓参りだよ』
『覚えてくれていたのね』
『当たり前じゃないか。行こうよ』と俺が誘うと、少し間があって玲は答えた。
『良いけど、秀は平気なの?』
『平気か平気じゃなくて、二人で行かなきゃいけないと思う。ちゃんと竹中さんに報告しなきゃいけないだろう。竹中さんのお陰で、今、俺達は幸せですって言わなきゃいけないよ』
『分かったわ。行きましょう。この前京都に行って自分の事を知る事が出来てなかったら行く勇気は無かったと思うわ。それも秀と出会えたお陰だわ。そうね、私達二人を見て貰いましょう。秀、ありがとう』
『それも必然だろう?』
『そうね。必然よね』と言いながらはにかんだ玲は可愛かった。
そしてエレベーター前で彼がいた。
初めて玲のマンションに来た時に会った奴だった。
『この前エレベーターの中で何をしたんですか?』とそいつはいきなり聞いてきた。
『キスだよ』と俺はいきなり答えた。
そいつは20歳そこそこだった。同じマンションに住んでいて、何度か出会ううちに親しくなった。
玲のマンションは5Fだったが、同じ階に住んでいた。
実家は関西の方らしく、しかも田舎の方だと言っていた。
素朴な奴だったが、その風貌からは似つかわしくない慶應の学生だった。
ダサい奴だった。
俺はそいつに慶應は嫌いだと言った事がある。
何故嫌いですかと聞かれて、ほとんど理由は無いが、早稲田の先輩達が敵対視しているからだと答えた。
当時の早稲田は六大学野球やラグビーの早慶戦で負けてばかりいた。
それも手伝って、慶應憎しの感が強かった。
こいつと俺は、将来仕事をする事になる。
矢口颯太という。
翌早朝、玲子に起こされて、竹中さんの墓参りに二人で浦和に向かった。
俺は京都の疲れがあったのか、目覚めの悪い朝だった事を覚えている。
電車の中で俺は玲子に言った。
『竹中さんに感謝しなよ』
『ええ、分かっているわ』と玲は言った。
そして続けてこうも言った。
『しょうちゃんに産んで貰って、秀に育てられてる感じがするわ』
『俺は育てちゃいないよ。ただ玲を大切に想いながら、玲の側で感じられる安らぎに浸っているだけだよ』
『そうなの?どんな安らぎなの?』
『上手く言えないけど、安心出来て。。。。前を向いている感じかな。。。。話していても黙っていても側にいるだけで感じるんだよ』
『だからどんな?』
『玲の強い意志に守られているって感じかな。京都で言われただろう?時々で違うけど、うたかたを楽しめって。。。』
『いつも、そうなの?』
『いつもじゃないけど、多いよ』
『そうじゃない時は、どんな感じ?』
『どっちなんだろう、とか。。。。分からない感じだよ。。。横に寄れなくて、閉ざされた感じかな???出会った時と比べると、少なくなったし、兎に角、最近はほとんど無いよ』
『そうなの。京都から帰って1週間だけど、会社の人達が変わったの。。。。そしたら、会社の同僚に休暇の最中に何かあったのかって聞かれたわ』
『で、何て答えたの?』
『自分が何となく分かったって答えたわ』
『それで?』
『影が無くなったって。それから綺麗になったとも言われたわ』と玲は、はにかみながら答えた。
『京都に行ったって話したの?』
『ええ、話したわ。でも入社が同期の仲の良い子にだけよ。。。住谷さんって子』
『どう話したの?』
『彼を追い掛けて京都に行って、開眼したって言ったの。そしたら彼女、あなたに会ってみたいって!』
『へえ。物好きがいるもんだな』
東横線から山手線に乗って、池袋で赤羽線に乗り換えた。
紅葉狩りのシーズンだったが、以外と電車は空いていた。