東京45年【50-2】自由ヶ丘 | 東京45年

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東京45年【50-2】自由ヶ丘

 

 

 

1985年 初冬の頃、25才、東京
 

 

たった3日間会わないだけで禁断症状が出ていた。

 

玲を抱き締めたかった。

 

 

その禁断症状はどんな風かと言えば、ただ単純に会いたいだけ。だが、会いたくて会いたくて仕方が無くなる。そうなると心臓を鷲掴みにされた様に胸が痛くなる。その内、涙が出てくる。涙が出るともっともっと切なくなってくる。そんな風な症状だった。
 

 

 

自由が丘の駅に着いたのは7時を過ぎていた。

 

駅は帰宅する人やこれから遊びに行く若者達でごった返していた。

 

人ごみと冬の様相の街並みは、忙しなく年末が近付いている事を感じさせた。

 

さらに俺は玲に会いたい一心が相まって心が急いた。

 

駅からマンションまでの道を一心不乱に速足で歩いていると、背後から俺を呼ぶ声が聞こえた。

 

振り返ると玲が息せき切って、ヒールを響かせながら小走りにやって来た。

 

 


『もう、何度も呼んでるのに聞こえなかったの?』と言い終わる前に、玲を抱き締めていた。

 

 

強く強く抱き締めた。

 


『秀、痛いわ』と玲は言った。
 

 

俺は抱き締めた手を弛めて玲の顔を見つめた。

 

 

そしてもう一度抱き締めながら言った。
 

 

『会いたかった』
 

 

『私もよ』
 

 

そっとキスをした。ネオンが灯った商店街だった。

 


『不思議ね。何も怖いものが無いくらいに秀が好きよ』
 

 

『ああ、俺もだよ』
 

 

『それなのに山の事ばっかりね』
 

 

『それは言わないで』
 

 

『ごめんなさい。この3日間寂しかったから』
 

 

京都から毎日玲に電話をしていた。

 

京大図書館の帰りに寒々とした夕闇が辺りを被い尽くした人通りの少ない道にポツンとある公衆電話から毎日電話をした。

 

話す事はあまり無かった。

 

ただ毎日会いたいと言った。

 

玲もそう言った。

 

積もる想いがあった。

 

二人の恋心は冬の寒空の下でも煌々と燃え上がっていた。
 

 

春に始まる恋を経験した後に、秋に始まる恋を味わっていた。

 

春に始まる恋は夏に向かって爽やかな初夏を満喫する様に明るく朗らに発散する想いがあった。

 

そして、秋に始まる恋は冬に向かって人恋しく、しみじみとした趣があり、夕暮れ時にはその人を思い、心に染み入る様だった。
 

 

『ところで秀、晩ご飯は食べたの?』
 

 

『まだだよ』
 

 

『それなら近くにイタリアンの良さそうなお店が出来たのよ。行ってみない?』
 

 

『ああ、いいね。行こうよ』
 

 

俺はカルボナーラスパゲティーとルッコリのサラダに紅茶を頼んだ。そして玲はアラビアータスパゲティーと生ハムのサラダに赤ワインを頼んだ。数日振りの二人の夕食だったが、久しぶりの様な気がした。恋しい想いがそうさせていた。
 

 

食事をしながら、玲は仕事の話やら職場の同僚・学生時代の友達の話をした。

 

玲の仕事はSONYで商品の企画だった。

 

聞けば、今は何やら歩きながらイヤホンでカセットテープを聴く機械の企画をしていると言う事だった。

 

俺はそんな物が売れるのかと思いながら黙って聞いていた。

 

目標は小さくてポケットに入る大きさにする事だと言ったが、俺はラジカセを想像したので、カセットテープを入れる機械を想像するととてもポケットに入る大きさにはならないと答えた。

 

 

すると玲はこう答えた。

 

『黒い水を最初に飲んだ人は偉くて、小さなカセットデッキを想像している事はダメなの?』
 

 

『そんな意味じゃなくて、ホントに出来たら凄いと思うけど、乾電池で動かすんだろうけど、その大きさだってバカにならないし、モーターの大きさやその他の電子回路基板の大きさを考えるとポケットはいくらなんでも無理があるだろう?それに音質も問題になるだろうし』と俺は答えた。
 

 

『どうやら秀はウォークマンを知らないようね?』
 

 

『なんだよ、それ?“歩く人”かよ?』
 

 

『数年前に発売して大ヒットしているのよ。私がSONYに入社した翌年に発売した商品よ。その時は少し大きくて厚かったど、もう少しでジーパンのポケットに入りそうなのよ』
 

 

『そうなんだ。玲が入社した年って、俺が東京に出てきた年だったよな?』
 

 

『そうよ。それからずっとウォークマンの企画ばっかりしてきたわ。それに、売出して後のヒアリングやマーケティングも。。。』
 

 

『そうなんだ。どっかの電気屋に行ったら見てみるよ』と俺は答えたが、俺は玲の仕事やプライベートの事をほとんど知らないと思った。玲はSONYでいち早く主任になり、来年4月からは係長になるとの事だった。

仕事が出来そうだと思っていたが、実際に聞いてみると会社でも認められているんだと思った。
 

 

『凄いな。バリバリのキャリアウーマンじゃないか?』
 

 

『そうよ。入社以来、仕事一筋だったからね。でもこの前京都に行って、3日間も休んだから、上司や同僚から何があったのかと聞かれたわ』と言いながら屈託の無い失笑をした。

その笑顔も素敵だった。
 

 

『で、なんて答えたの???』

 

『それは。。。。誤魔化したわ』

 

 

 

それから同僚や学生時代の友達の話を聞いた。食事の最後に珈琲を飲んで店を出た。マンションまでの帰り道では、玲の家族の事や幼い頃の話を聞いた。父親は住友商事の部長をしていて、あと3年で定年だった。3人兄弟で、6歳違いお姉さんと5歳違いのお兄さんがいた。二人とも既に結婚していて、それぞれに子供が2人ずついた。お兄さんは、東京大学理科2類を卒業後、今は名古屋に住んでいて、トヨタ自動車で車の開発をしているとの事だった。

 

 

夜の寒々とした商店街を玲の肩を抱き寄せて歩いた。