川西市にある鴨神社。

御祭神は別雷神とされていますがこれは後世からのことと思われます。
 

鴨君または鴨部祝の祖先神を祭神としているようです。

姓氏録に鴨部祝、加茂朝臣と同祖、大国主神の後なり

古事記の崇神天皇の段
オオタタネコの注にオオタタネコは神君、鴨君の祖なりとあります。

むしろ私がビビってしまったのは鴨神社の神紋です。


これは大阪市城東区の謎スポット、諏訪新地のマークとそっくりなのです。

 


それで今回、鴨神社の神紋は諏訪新地のマークと同じでした!(笑)というオチで

このブログを終わろうとしていたのですが、動画を編集していてふと

 

「じゃあ何故諏訪新地はこんなマークを使っているんだろう」

と少し調べてみましたら、諏訪新地の近くに「諏訪神社」があったのです。

そしてこの諏訪神社が長野県の諏訪大社の分社ということで

私はまさか諏訪大社もこれと同じ紋ではないか、と検索してみましたらなんと、同じだったのです!


厳密には少し根本のあたりが違いますが、どちらも「梶の葉」という紋だったのです。

諏訪新地と同じというだけだったら、「カッコ笑い」で済みますが、長野県の諏訪大社と同じという話ならこれは笑い話では済みません。

長野県の諏訪大社は古代イスラエルの聖地だったのです。
「え、また古代イスラエルかよ」と思われた読者もいらっしゃると思いますが、

私があれこれ説明するより次の動画をご覧ください。

 

 

 

川西市に住んでいる人、または川西市のことをよく知っている人に「川西を代表する神社はどこですか?」と訊くと大抵の人は「多田神社」と答えると思います。

これは間違い、という訳ではないのですが、平安時代に編纂された「延喜式」という書物の中には多田神社の名称は記載されていません。

延喜式には現在の川西市にあたる場所に「小戸神社」「鴨神社」「多太神社」の3社が載っています。

ではなぜ多田神社の名称が無いのかというと、多田神社が明治時代までは「多田院」という寺院だったからなのです。

ちなみに八坂神社や石清水八幡宮なども延喜式には記載されていません。

今回はその延喜式に記載されているうちの一社、「小戸神社」が古代イスラエルと関係があるのではないか、ということで取り上げたいと思います。

小戸神社は今でこそ「おおべじんじゃ」とよばれていますが、その昔は正式名称「をべのかむやしろ」と言われていました。

こういうと、「な~んだ、漢字の読みを変えただけじゃないの」という声がきこえてきそうですが、実は「おおべじんじゃ」というのは生粋の日本語で、「をべのかむやしろ」と読み方を変えたとたん「ヘブライ語」になってしまうのです!

「かむやしろ」は日本全国で使われるキーワードで、もう書籍やネット上でも詳しく解説されていますので詳しくは触れませんが、簡単に説明しますと“カム”が「立ち上げる」“ヤ”は「神」“シロ”は「器(うつわ)入れ物」という意味になります。

そしてこの“をべ”ですが、私がヘブライ語辞書を紐解くと「父、先祖、祖先、首領」という意味がありました。

小戸神社自体の成り立ちが詳細不明とされていますので、この父、先祖、祖先、首領のカムヤシロがどのような経緯で建てられたのかは分かりませんが何か長のような人物を祀ったのではないでしょうか。

また名称以外にもこの神社のご祭神を見てみますと、「大山津見命
天児屋根命 素盞嗚命」とされています。

大山津見は以前猪名川町の紫合(ゆうだ)のときにも触れましたが、「相撲」というのが旧約聖書に度々登場し、「はっけよい、のこった」は古代ヘブライ語ではないかと書きました。

愛媛県にある大山祇神社で一人相撲という稲の精霊と戦うという奇妙な神事があります。

天児屋根命は以前中臣須牟地神社のときにも出てきました通りアメノコヤネ=中臣=古代ユダヤですね。コヤネは祭司を指します。

そして素戔嗚(スサノオ)は以前の動画やブログで何度も説明しました通りで、スサノオという言葉自体が「安住の地を得る」という意味のヘブライ語なのです。

 

 





 

 

 

 

もう30年以上も昔の話であるが、私は大阪市内の南部方面にある俗に下町といわれるところに居を構えそこを拠点として活動していた。

 

私が兵庫県の川西市で不動産をやることになって、その大阪市内南部の地元で生まれ育った…つまりそこから出たことなく何十年とそこで生活してきた年配のおっちゃんやおばちゃんに、「今度、川西市で不動産屋することになってん」というと、決まって

「あぁ、奈良でするんかいな」といわれた。

 

私が「ちゃうねん、兵庫県の川西市や。電車でいうたら『川西能勢口』ゆう駅や」

というと、「あぁ、能勢かいな、えらい山の中で不動産屋すんねんな」

 

というので私は「ちゃうねん、ちゃうねん、JRでいうたら『川西池田』やねん」

というと「あぁ、池田かいな、それ早よ言わんかいな」

 

という風にいわれることが多かった。

 

むろん私がその後に続いて「まあ池田の隣やけどな」などといっても全く意に介していないのはいうまでもない。

 

川西の語尾が「し」で終わるので「かわにしし」と発声しても「し」の部分がリエゾンのようになってしまって、「かわにし」だけが聞こえて奈良県にある川西町と思ってしまうようだ。

 

そこで私は電鉄の駅名で例えると分かりやすいだろう、と阪急宝塚線「川西能勢口」の駅名を出すとどうも「川西」の部分より「能勢」という単語のほうが印象にのこるようである。

 

もちろん「能勢」が悪いというわけではなく(むしろ個人的には大好きなところだが)、阪急川西能勢口近辺と「能勢」は明らかに街の空気感が全く違う。

 

そして、JRも「川西」に余計な文字がついているため「池田」の方に軍配が上がるようだ。

「池田」があり「川西」そして大阪から見て奥にある「宝塚市」でもこういったことは起こらない。宝塚ならみんな知っている。

 

ではどうすればよいのか。

私の提案はズバリ阪急「川西能勢口」を阪急「川西市」駅に改名するということである。

出来たらJRも「JR川西市」駅に改名する。

 

これはなぜかというと、私が物心ついたころ駅名になっていた郊外の離れた市、例えば寝屋川市、門真市などの名前は漠然とではあるが幼少期から知っていた。

 

電車というのは子供時代に興味を持つことが多い。地図で地名を見ることが多い車やバイクは自分が運転できるようになってから本格的に取り組むようになる。

 

かといって興味を持ったからと子供が自由にどこにでも乗り歩くことはできず、やはり路線図などを眺めて子供特有の記憶力の良さが一発で脳にその市の名称を刻み込む。

 

だから「川西駅」ではなく「川西市駅」にするべきで、そのあとに余計な能勢口や池田という名称は省かなければならない。

 

そういうアイデアは浮かぶものの、どこに言ってよいのかがわからない。

 

駅名を変えるというのは特に荒唐無稽な話ではなく、阪急宝塚線だけでも結構みかける。

 

例えば、私が知るだけでも中山が中山観音、石橋が石橋阪大前、服部が服部天神と、いつの間にか名称が変わっている。

こういった事例は、何がきっかけで変わるのだろう。

 

阪急電鉄という会社自体は進んでやりたいとは思わない筈だ。

やはりひとつ駅名を変えただけで、看板代から印刷物まで膨大な費用が要る。

 

そうなると、主導するのはその駅がある自治体なのか。

 

実をいうと、かなり以前にある川西市会議員2名にこのことを言ったことがあったが、特にその後うごきはなかった。まあ冷静に考えたら議員にとって何のメリットもないことであろう。

 

とりあえず川西市のHPに「市長への提案」というフォームがあるようなので、このことを送ってみようとは思うが、他に電車の駅名が変わるプロセスを知っている方がいればどういう人が動いてまた誰が一番影響力があるのかDMで教えていただけたら幸いである。

 

 

 

 

就労継続支援B型の作業の一環としてドリームキャストの修理しました。

 

音声は出力されますが、映像出力不可というシロモノ。

 

まず初めにケーブル類の接触不良を確認。

初歩的な原因で動作しないなんてことは結構あります。

 

次に、そのケーブルを接続しているコネクターと基板の間に接触不良がないかをチェック。

 

これもOK。

 

こうなれば基板上の部品となる訳ですが、本格的な点検に入る前にまず部品の外観を見て、クラックや液漏れみたいな異常が無いかを確認します。

 

今回はありませんでした。

 

そして音声は出ていて、映像だけが出ないわけですから、映像出力から逆算してテスターで探っていきます。

 

そうすると、映像出力の最終段である、ノイズ除去の目的で取り付けられているフェライトビーズが全く導通しません。

 

これを取り替えたら良いのでは・・と喜んだのも束の間、よく見ると両端だけではなく、真ん中にも端子のある3端子のチップ部品です。

 

ネットで検索しても売っていません。

 

ダメ元で日本橋に行きましたが、店員さん曰く

 

「ちょっと前まで置いていましたが、全く売れないので引き上げました」

 

仕方ないので、2端子のまま取り付けてみることに。

 

動画では言及していませんが、もしどうしても真ん中の端子(GND)に繋げないといけない時に備えて、2分の1サイズのチップも買っておきました。

 

これにより直列にチップを取り付けて、真ん中も通電するようにと空想ではありますが、考えたのです。

 

ただし、出来るだけやりたくはありませんでした。

直列に・・と簡単に言うものの、大きい方1個でも米粒より小さい。

その2分の1のサイズな訳ですから・・

 

結果は今のところですが、1個でいけました。

1個だとランドとチップ端子の幅がビミョーにズレていたのか、中々ハンダが乗らず、多少苦労しましたが・・

 

取り付けてテストをするとドリームキャストのオープニング画面が映し出されました。

 

それにしても、ドリームキャストのオープニングのメロディーは何回聴いても美しい、と感動しますね。

 

 

 

 

 

 

先日YouTubeでまた面白い動画を観まして、「部落ユダヤ起源説」ということを説明しているのですが、実は私が古代イスラエル(古代ユダヤ)と神社や昔の地名を訪ね歩いていると、ある法則に気付いたのです。


それは、古代イスラエルと関係がありそうな地域というのが、同和地区であったりすることが多かったのです。

しかし、ひと昔前はこの手の話はタブーとされていたということもあってそのような事をブログで書いて良いのかどうか迷っていたところ、この動画に出会った訳です。


この動画は神奈川県人権啓発センターというチャンネルなのですが、(説明欄にリンク貼っておきます)この動画の中で部落はユダヤ起源なのかという質問に対して

「ユダヤではありません。ユダヤ陰謀論というのは昔から沢山あり、そんな事を言う人が多い」

という理由で否定していました。

ここで、ユダヤ陰謀論というのが出てきました。

私の過去ブログの記事で、「古代ユダヤ」というのが、たびたび出てきますが、ここでいう古代ユダヤとは、紀元前の時代に失われた十支族というのがあり、その一部が、もしかしたら日本に来たかも知れない、という旧約聖書に出てくる古代ユダヤを言っているのです。


この神奈川県人権啓発センター動画や世間でいうユダヤ陰謀論というのはおそらくアシュケナージユダヤ人といって、旧約聖書に出てくるユダヤとは全く別のことを指しているのだと思います。

見た目も、白人の欧米系ですし、世間でユダヤの大富豪とかをイメージするものだと思われます。

旧約聖書に出てくる古代ユダヤはどちらかというとイエスキリストの絵を見ても分かるように中近東風なのです。

おなじ「ユダヤ」という言葉ですが、全くの別物なのです。

話はそれましたが、私はよく山間部の田舎にある古代ユダヤ、古代イスラエルと関連があるのではないかという場所を散策していると、確かにその村落に同和関連施設が建っていることが多かったのです。

同和関連施設が建っているということはその地域かもしくはその近くが同和地区ということなのですが、つまりその地域に詳しくない私でも分かってしまうわけですが、

宅地建物取引士の更新研修で大阪府が作成した「同和地区の所在に関する質問には私たち宅建業者はお答えしません!」というポスターがあり配布されるぐらいですから、私がわざわざ動画で、しかも聞かれてもいないのにここに有ります・・とも言えるはずもなかったのです。



しかし、この神奈川県人権啓発の動画に出会ってそのほかにもいろいろな関連動画を見ていましたらすごいヒントがありまして、部落の「渡来人起源説」というのがありました。

私の年代、つまり昭和時代に同和教育を受けた者は部落の起源として、士農工商とあり農民の年貢の不満をそらすために、その下にエタ・非人という身分を作った・・それも、江戸の初めか豊臣の時代という中世くらいにできたものと習いました。

最近はその考えは薄れてきて、もっと古代からあったとされています。

そして、この渡来人なのですが、差別問題に取り組んでいる専門家や先生方というのは古代イスラエルやユダヤの専門家ではないので、たいてい

「中国や朝鮮半島から来た人」

と書いています。

私がなぜ今回このようなブログや動画を上げたかというと社会問題(人権や差別問題)の専門家と古代イスラエル(古代ユダヤ)の専門家が結びつく何かきっかけになれば・・

と思いこの記事を書きました。

私の過去ブログにも書きましたがシルクロードを長い年月かけて東へ東へと旅というより、住みながら、ときには現地の人と夫婦になり当然その子たちはアジア系の顔つきだし中国や朝鮮半島に滞在して日本に来たら、「イスラエルから来た」とはならず「中国から来た、朝鮮から来た」となると思います。

そしてこれも私の今までのブログにもありますが、ものすごい優れた技術を持ち込み軍事(武器製造技術)や都市開発技術(平安京造成)養蚕などの産業技術・宗教・神社・雅楽などの文化(人心を掌握する)など・・

時の為政者の片腕として大活躍。

用事が済めば、つまり都市開発も一段落し、軍事面も充実してきたら、今度は逆に敵になると自分たちが危ない・・と身分を落とさせ、僻地へ追いやった・・

というのは十分考えられます。

現に兵庫県や奈良県などはものすごい不便なところに多く存在します。

だから陰謀論のユダヤではなく古代のユダヤとは何か関連がありそうな気がします。





本来は一つ一つ検証したいところですが、先ほどの理由で具体的な場所を公表しませんと言いましたが、今回ひとつだけ例外で言わせて下さい。

理由としては、その神社の名称とその地名が深くかかわっているので説明したいということと、その場所が大阪で最大級の規模なので誰でも知っているという事で例外としました。



それが住道矢田というところで、住むに道と書いて「すんじ」と読むのですが、大東市あたりに住んでいる人なら「すみのどう」といってしまいそうですが、おそらく神社の名称が中臣須牟地神社というので、ここから来たと思います。

この須牟地(すむち)または住道(すんじ)は、単純に住吉大社の道と結論付けることはできません。

というのも、住吉大社というのは平安以降の名称で古代は清江(すみのえ)とよばれていたからです。

そしてこの中臣ですが、中臣といえばアメノコヤネ。

アメノコヤネといえば古代ユダヤなのです。

画像は「アメノコヤネ_ユダヤ」で検索したものです。



中臣という文字もちらほら見えますね。

そしてこの須牟地なのですが、他にも3社ほど須牟地という名称の神社があり、須牟地という日本語自体に意味は見出せません。

いずれも神の道である磯歯津路(しはつみち)が関係しているとの記述があります。

しかしなぜ「すむち」なのでしょうか。

一つ考えられるのはヘブライ語で太陽という意味のセメッシュ。

カタカナで書くとちょっと無理くりやな~と思うかも知れませんが、ネイティブの人が発音したのを日本人の耳フィルターで聞くとあながち違うとも言い切れません。

なにしろ

What time is it now?

を「掘った芋いじるな!」

と聞こえるくらいですから、セメッシュが「すむち」と聞こえるなど朝飯前なのです。

それでなくても昔は母音記号がなかったですから、ローマ字表記に直すとsmsなのです。

スムッシュと発音されると尚「すむち」に近づきますね。


ではなぜ太陽なのでしょうか。

これは2つ考えられるのですが、一つは住吉大社から見て太陽が昇る方向であること。

現在でも2社「須牟地」と名付く神社があります。

もう一つは旧約聖書列王記下23章11節に出てくる

「太陽に捧げて(中略)馬を・・」

つまり太陽神に馬を捧げる話が出てくるのですが、この神社にも馬(かどうかは判然としないが)のような祠があるのです。


今回は一例としてご紹介しましたが実際、田舎の方ですが古代ユダヤと関連有りそうな場所を訪れると、同じ町なのに3か所連続で同和関連施設が有ったということもあります。

ですから、この神奈川県人権啓発センターさんの言っているユダヤ陰謀論のユダヤではなく、旧約聖書に出てくるユダヤと被差別部落、同和というのは何か関係がありそうな気がします。


それとこの話は次回以降詳しくお話したいと思いますが、ヨセフアイデルバーグ著「日本書紀と日本語のユダヤ起源」という本に日本語とヘブライ語は読みも意味も同じ言葉が最低でも500あるとされています。

私もこの本を読みましたが本当にびっくりします。

500種類意味も発音も一緒というのは偶然では考えられません。

やはり言葉と一緒に人もやってきた・・と考えるのが自然だと思います。

それでは、中臣須牟地神社へ行ってきた動画をご覧ください。