多太神社ですが、1736年頃までは「平野明神」と呼ばれていました。

これは延喜式神明帳に記載されている多太神社(たふとのかむやしろ)がいつしか忘れ去られ

長い間、この神社がまさか多太神社とは気づかれず時だけが過ぎていったのです。

あるとき(1729年頃)お上から調査するようにとのお触れが出て

ここが延喜式に記載されている「多太神社」と判明したのです。

また、昔このあたりは大神郷(おおむちごう)と呼ばれていました。

大神(おおむち)とは大和、現在の奈良桜井市の大神神社の御祭神「大物主」の子「オオタタネコ」の住むところと古文書(和名抄)に書かれています。

現在の桜井市と川西市とでは相当距離がありますので、住んでいたかは別として、私の旧ブログ
https://landhomeinc.livedoor.blog/archives/954498.html
にも書いたことがありますが、この一帯は「間歩」といって金属が取れるところが多数あったということから、この辺を押さえておこう、という事になったのではないでしょうか。

そしてこのあたりは神人氏(みわひと)という氏族が住み、多太神社の御祭神がオオタタネコ命で神人氏の氏神であったとされています。

現在公表されている御祭神ヤマトタケル、イザナギ、イザナミ等は後付けと思われます。