私は、家から職場までの通勤の足にスクーターを使っています。

不動産業を開業した当初は、車オンリーでしたが

ここ数年はバイク通勤です。

 

物件調査(物調)や役所調査(役調)の時も

特に都市部の法務局・市役所で駐車場待ちの車列を横目にタイムロス無しで活躍しています。


昨日は一応定休日でしたが、事務所に立ち寄って

小一時間ほど雑用を済ませた後

天気も良かったので愛車のスクーターでミニツーリング。

 朝    豊中自宅出発
      事務所着      走行11km
11:30  事務所出発
12:30  篠山着 走行43km(計54km)

篠山には私もつい最近知ったのですが

阿部定事件の阿部定が娼妓として勤めていた

大正楼という遊郭跡が現存しているとの事で行ってみました。

大正楼入り口
大正楼跡入り口。

大正楼
入った奥の建物。

現在は違いますが、この辺一帯の土地は

私が以前不動産でお取引をさせていただいた

篠山の名士のご先祖さんがかつて所有していた所でした。

(但し建物は借地などで違うかもしれません)

しかし、阿部定事件なんて

「遠い昔の遠い所での事件」

というイメージであまり関心もありませんでしたが

こんな身近なところに足跡があったなんて・・・。

 

他にもその時代のそれらしき建物が数軒確認できました。

13:40 柏原 走行19km(計73km)
柏原(かいばら)あたりでだんだんお腹が減ってきたので

「飯でも・・」と思い柏原駅を通り過ぎたところで

駅に向かって入っていくと

目の前の交番所からお巡りさんが出てきてお小言を頂戴しました。

 

ここから入ってはダメとの事。

 

ついでにそのお巡りさんにこの辺の名物を訊ねると

 

「この辺は織田信長ゆかりの地なので、駅弁で『織田釜飯』というのが売っている。ただし、自分は食べた事が無いけど・・」

 

と教えてもらいました。


駅に行って、売店の方に食べる場所を尋ねると

駅のまん前のロータリーを指して

 

「そこに座って食べられますよ!」

 

 

いいですねぇ~旅の気分が出てまいりました。
その釜飯がこれ↓
織田釜飯
パッケージの箱↓
織田釜飯箱

気分が乗ってきましたので、さらに日本海に向かって北上。

 

学生の頃は、[体力が今より有る+乗っているバイクの排気量が750ccと大きかった]という好条件もあり、日本海へツーリングなんて朝飯前だった記憶がありますが、今はさすがに[学生の頃より歳をとっている+排気量5分の1のスクーター]ということでしょうか、真ん中あたりで多少の疲労感が出てきました。

 

それでも、柏原より更に50km走り、福知山市でも宮津寄りの雲原まで走りました。

15:00 福知山市雲原 走行50km(計123km)


本当は国道176号線を突っ切って天橋立まで行こうと思っていたのですが

ちょっとしんどくなって来たのと、この雲原には川西市出身の方が経営する面白い店があるので、ちょっと寄ってみました。

 

元々は神戸の六甲山でゲームセンターを長年経営されていたのですが、阪神大震災で閉鎖を余儀なくされ、この地に移られました。

 

店の屋号も福知山にありながら「六甲プレイランド」と往時のスタイルを踏襲しています。

 

店舗の中は昭和50年代前半のインベーダーゲームがこの店の一番最新機器だそうです。

 

少し前まで、川西⇔福知山往復200キロ以上をランドクルーザーで通われていたそうです。

 

しかし、久しぶりに行ってびっくりしました。

 

店舗の上に戦闘機がドーンと乗っているのです。

 


「これはコーナンで材料を買って来て作りました。大日本帝国陸軍一式戦『隼』の原寸大です。」

 


オーナーのお父様が『隼』の戦闘機乗りだったそうです。


「これ単なるオブジェや看板や無いんです。思いが詰まっているんです。操縦席も乗れるんです。いっぺん座ってみて下さい」
 

 

と促され、単管で出来た足場をよじ登り操縦席に座ってみました。

福知山六甲プレイランドの隼
「この操縦席乗ったの鎌田さんでまだ二人目です。時折、飛行機マニアみたいな人が来て隼は本当はああや、こうや、など能書きを言う人がいますが、俺とオヤジの隼はこれなんや!いね~!言うたるんです」

私も太平洋戦争時の戦闘機の原寸大を体感するのは初めてでしたが

コックピットは意外と狭いです。それが恐怖感をかき立てます。

 

先だってもなでしこ隊 をテレビでやっていましたが、この空間で愛する人、家族のこと、祖国の将来・・色んな思いを抱いて・・・どんな心境で飛び立ったのだろう。

 

私はしばらく操縦席から出られませんでした。

 

オーナーのお父様もなでしこ隊の舞台に出てきた知覧にかつていらっしゃったそうです。

 


「これ完成したとき、見知らぬおばあちゃんが前通りかかって、飛行機に向かって手あわせているんです」


その一方で、地元のマスコミが「取材させてほしい」と若い女性が来たらしいのですが、特攻の話をした瞬間


「えぇ~っ、そんな事したら中の人、死んでしまうんじゃないですかぁ~?」


とトンチンカンな事を言ったそうです。

あれやこれやとオーナーと話し込んでいましたら、気が付けば夜中の午前1時になってしまいました。

 

しかも午後3時からその時間まで口にしたものはコーヒー一杯だけ。

 

明日というか正確には今日、しかも午前中にアポイントも入っていましたので、大阪に向けて走り出しました。

帰りは霧がすごかったです。夜中の9号線は車の通りも無くほぼ私一人。

 

前方はほぼ真っ白の中、薄っすらと浮かび上がる道路のセンターラインだけが頼りの走行です。

 

それが数十キロにわたって続くのですから、さすがに心細くなってきました。

 

しかし、隼の話で盛り上がった事を思い出し

 

「昔の戦闘機乗りに比べたらちょろいちょろい」

 

と言い聞かせ「加藤隼戦闘隊 」を口ずさみながら帰路に就きました。

 

帰りは一気に94km走行し川西の一庫で24HセルフのGSで給油。

 

AM3:00無事豊中自宅着と相成りました。

 

しかし、私にとっては“ミニ”ツーリングではなかったような・・・