皆さんご存知の通り、

11年前の今日、午後14時46分、

東日本大震災がありました。



東北の人間として、忘れることは

もちろんありません。


昨日のことのように覚えています。



当時、神奈川に住んでいて

横浜で仕事中でした。



強い揺れ、そのあと、

酔うくらいの長い揺れ。


周りも大パニック。


その時私は、


ああこれは、首都直下型地震かな?

もうここで終わりかな…

ここで果てたら、

親が私を探しにやってくるんだろうか。

どこにいるかも分からない、

生きてるかどうかも分からない、

もうダメかもしれない、

そんな思いの中私を探しに…


とか、

半分パニック、半分は冷静と絶望の間にいる、

不思議な精神状況でした。



揺れが落ち着いて、

誰かが、


震源地は東北らしい!!


と叫んでいました。



…東北?

東京じゃないの??

東北が震源なのに、こっち、

こんなに揺れたの??

なら…東北は一体どんだけ揺れたの?

うち、大丈夫…?

家、潰れたんじゃない?

おかーは会社だから建物は大丈夫だろう。

おとーは一人だけど

山にいるから大丈夫だろう。


…じじばばは?

パニックになって逃げ遅れたんじゃないか?

家具の下敷きになったんじゃないか?

そもそも、家倒壊してない??



慌てて、母親に連絡。

すると奇跡的に繋がり、

急いでお互いの状況を報告。


あたし(母親)は会社だから大丈夫!

お父さんも多分大丈夫!

家がどうか分からない!


こっちも大丈夫。この後色々大変だと思うけど

とりあえず生きてるから大丈夫!


と報告した後、

電波が乱れ、

何も話せない、

何も聞こえなくなり、

プツッと電話が途切れました。



結果的に、我が家も、家族も全員無事でした。


実家は山形。

山形も少し被害はありましたが、

岩手や宮城に比べたら大したことないです。


山形でもパニックだったのだから、

岩手や宮城、特に沿岸部の人たちは…


と考えると…


言葉で言い表すことができません。



一体、どれほどパニックになり、

どれほどの恐怖だったのか…






あれ以来、毎年毎年、

不思議に思うことがあります。



『あの日を忘れない。』


こんな言葉を聞きませんか?



これに対して、不思議に思うのは

私だけでしょうか?





パフォーマンスにしか見えないんです。





忘れないなんて当たり前。

教訓にして当たり前。

伝え続けるのも当たり前。



今日はTwitterで、


今できることを考える。


という文を見ました。



何を言ってるのか…



11年も経って、何を言ってるの?




日本は地震大国。

次、またいつ大地震に遭うか分からないのに。


明日、もしかするとこの後、

大きな地震があるかもしれないのに。


起こっても不思議ではないのに。



今できることを考える。


遅すぎなのでは?


考える、というのは、

もうとっくにやっているべきで、

すでに行動に移し、

対応できる状態になっているべき。


もちろん、完璧というのは無理だけど。



あの後すぐ、一人一人が、

明日は我が身と思って意識を高め、

防災に取り組む。


自分に合った防災グッズを揃える、

避難場所の確認、

離れて暮らす家族との緊急連絡手段、

地震が来たと想定してシミュレーションしてみる、

など、やって当たり前。



やっていない方がおかしい。



うちは沿岸部じゃないから大丈夫。


それは理由にはならない。


そもそも自宅が揺れに耐えうるのか、

家具は転倒しないのか、

転倒しないようにしてあるか、

背の低い家具に替えてあるのか?


外出中に被災した場合、

しかも海にいた場合、

正しい行動ができるのか?


その訓練をしているのか?






一人一人が本気で取り組めば、

自分自身を守ることはもちろん、

家族や友人など大切な人、

自分が住む街も守られて、

結果、この国を守ることができる。


時間が無いとかお金がかかるだの言い訳せず、

人任せ、運任せ、行政や国任せにするのではなく、

自分の命がかかっているのだから、

責任を持って行動するべきだと思います。




大きな地震は必ず、いつかまた襲ってくる。


それは、明日かもしれないし、


今日、この後かもしれない。